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カテゴリ:Bible
「霊性と祈り」というテーマで、霊的形成の様々な側面を学んでいる。
今回はローマ8:14~27より「人生のうめきの中で聖霊に導かれて歩む」。 奴隷とは主人の憐れみにすがって怯えながら生きる、明日はどうなるかわからない我が身。私たちは神の奴隷、ではない。 聖霊を受けた神の子として、神の家の中で大切な存在、愛されるべき存在である。(第2テモテ1:7) 聖霊が、神の子だということを証している(16節)、原語のギリシャ語では"継続している"というニュアンスのこのメッセージをわたしたちは心で感じ、体験する。 さてわたしたちは、この24時間放送のメッセージにチューニングを合わせているか、電源をoffにしているのか、BGM代わりに聞き流しているのか、周りに雑音はないか。 神の子どもであるなら、神の相続人でもある(17節)。 今の苦しみ、というのは"ある!"。天の栄光と比べると取るに足りないもの。 他宗教では、今の苦しみを感じないようにするために、自分を無にしたり、修行をしたりする。 キリスト教では"苦しみは、ある"ものとして、それに直面する。 苦しみを通ることで、霊的形成がなされる。 平和、喜びは、うめきを乗り越えて、得られる。 うめく者(物)としてここで3つ挙げられている。 被造物全体、私たち、御霊ご自身。 御霊ご自身が言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださる。 祈りのテーマ 「自分が本当に神の子として愛されているということを実感できるように。」 「うめき、苦しみを永遠の視点で見ることができるように、天の栄光というものをはっきり示してくださるように。」 感想 天の栄光というものが、耳で聞き、頭では知っているけれど、実感としてよくわからないので、つい目の前にある苦しみ、辛さに焦点が当ってしまう。 それでも、守られ、恵まれている点も、数えてみるといくつも思い浮かぶ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.12 15:12:02
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