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テーマ:聖書からの日々の御言葉(206)
カテゴリ:心のうち
聖書に登場する夫婦を見ながら、自身の夫婦関係を見つめ、夫のためにも祈る夫人の会(アビガイル会、聖書に登場する聡明な妻の名より)があった。
今日は新年スペシャル祈祷会だった。 実は何も心構えのないまま「スペシャルって何やろなぁ?」とぼーっとしながらの参加だった。 「夫を、イエスさまの目で見ることができるように・・・。」 始めの祈りの中で導き手(リーダー)の口に与えられたことば。 いきなり目が覚めた。 ああ、昨年一年さまざまな荒波(感情、状況)にもまれたあげく、たどり着いたまさにその想い。 問題に直面する度に、過度な期待を抱きことごとく砕かれたように感じてきた。 そんな状況を、わたしが頑張らねばという内外からのプレッシャーに応える形で、また私自身のやり場のない想いを発散させるように、がむしゃらに自分を追い込んできた。 苦しくて辛くなってもなかなか手放せなかった、頑張り、意地っ張り。 それが年末になってようやく、"ふっ"と肩から降りた。 気がついたら、内外からのプレッシャーのエネルギーが衰えていた。 わたしの思うように行動してくれないことへの不満ではなく、表れている行動に秘められた想いを知り、理解し、寄り添いたいという祈りに変えられた。 奇跡のような心の変化。御霊の働きとしか言いようがない。 今日、再度、確認させられた。 「誰でもキリストの愛を求めて生きている 誰でもキリストの愛を受けられる」 「流れよ 栄光 この力 世界に 溢れよ主の香り われらの中に」 今日の賛美の中にあったことば。 夫はクリスチャンではない、そして周りにいる人もクリスチャンでない方ばかり。 けれど、こんな風にいつも誰に対しても思えたら、きっとその方も神様の愛を感じてくれるに違いないと強く思った。 私自身がその愛を受けたのだから、受け続けているのだから。 そしてもし、口で証する時だとされるなら、どうかその勇気さえも与えてください。 「わたしこそ神であることを知れ。」 今日のために、祈りのリーダーを通して与えられた御言葉。 そうです、昨年通して、わたしは自分の力で何とかしようと、自分の力で何とかできると、自分勝手な判断であがいていました。・・・間違っていたのです。これも昨年12月になってようやく気づかされたことだったのです。 状況を変えることができるのは、私ではなく、神さま。 人を変えることができるのは、私ではなく、神さま。 人と人を和解に導けるのは、私ではなく、神さま。 気付かされた後の、心の平安も、奇跡的。 そしてたどり着いた、今年目標とする漢字一字が「委」。 まさに、主ご自身が言われているこのことだったのです。 最後に「夫に仕える」ということについて、静まり、神さまに心を探ってもらい、想いを吐き出し、悔い改めるべきは悔い改め、導きを求める祈りの時を持った。 家庭の中でほとんど自分の想いや意志を表さないので、正直「どうやって仕えたらいいのよー!」と、私の持つ"仕える"イメージから離れられずにイライラしていたのだけれど、聖書の言う"仕える"とは私の抱いていたイメージとは違うのかも、そして新たなイメージが掴みかけてきたような。"仕える"とは私にとって、まず、イエス様のような眼差しで見、ありのままを受け止め、不満でははなく憐れみ祈ることからの出発のように思えるようになった。 ほんとにほんとに、スペシャルな祈祷会でした。 祈り、示され、賛美し、示され、分かち合い、探られ、悔い改め、祈り、平安。食べ喋り・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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