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1コリントへの手紙 13:1-13
キリスト教の暦では、来週2月21日からイースター(復活祭)までの約7週間の受難節が始まります。この期間はイエスキリストが十字架につけられたということを思い巡らし、ゆっくりと生活し、祈り、自分の内側を吟味するのです。 ちょうど人間ドッグで身体の隅々まで点検するように、心と魂の点検を行い、Dr.Jesusによる霊的健康のためのアドバイスを受けるのです。 イースターまでの数週間にわたって、聖霊の実(ガラテヤ5:22)についてメッセージをします。 バレンタインデーのある今週はなんといっても"愛"についてでしょう。 今日の聖書箇所は、聖書の中でもっとも有名な箇所の一つであり、愛について的確に書かれてあるところです。 愛についてのふたつの質問について見ていきましょう。 Q1.なぜ愛が、私たちの霊的生活の真髄であるとされるのでしょうか? A1-1.愛がなくては、何をしても神の前には何の値打ちもないからです(1-3節)。 この著者であるパウロは、永遠の"救い"について言っているのではなく、"(クリスチャンはイエスの弟子としての)霊的な成長"について言っています。 この手紙を受け取ったコリントのクリスチャン達は、熱心に異言をしたり預言をしたり、また完全な信仰をもち、聖書のことも隅々まで知ることなどに熱心でした。けれど、霊的に赤ちゃんのよう(成長していない)で真の愛が育っていなかったのです(3章)。 愛がなければ、これらの素晴らしい行いも、神の前には"永遠に価値あるものは何もない"のです。これは、個人に対しても、教会全体に対しても言われていることです。 イエスさまのministry(働き)は愛で始まり、愛で実践し、愛で終わるのです。 私たちがクリスチャンとしての歩みに真の価値を与えたいなら、神と他の人に対する愛こそが土台となるべきなのです。 「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マタイ22:37-40) A1-2.人生において、私たちが唯一、神と他の人に対して持ちうる完全で永遠なることは愛だからです(8-13節)。 キリストが戻られる時、霊的な賜物、ミニストリー訓練は終わりとなります(8-10節)。それらはもはやでなくなるのです(12節)。唯一、愛だけが耐えることがありません(8節) 天で唯一私たちに問われることは「あなたは、神を愛したか。あなたは、わたしがあなたの周りに置いた人々を愛したか。」なのです。 「あなたは異言をしたか。」とか「あなたは預言をしたか。」とか「あなたは聖書の隅々までよく知っていたか。」ということではないのです。 「神は愛です。」(1ヨハネ4:16)だから、私たちが愛を示す時に最も神に似るものとなります。 「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(13節) 愛は、霊的成熟を最も表す真のテストであるといえるでしょう(11節)。 Q2.私たちの内側に、他の人に対するキリストの愛が育っていることを、どのようにすれば知ることができるでしょうか? A2-1.自分自身の"必要"よりも、他の人の"必要"を思いやるようになります(4-6節)。 「愛は寛容であり、愛は親切です。 また、人をねたみません。 愛は自慢せず、 高慢になりません。 礼儀に反することをせず、 自分の利益を求めず、 怒らず、人のした悪を思わず、 不正を喜ばずに 真理を喜びます。(尊厳と敬意をもって対応する)」(4-6節) 弱い人や未熟な人を受け入れ、傷ついている人やself imageの低い人を思いやり、全てのよきものは神から来るものだと、一緒に喜び、また謙虚になります。自分のやりたいことを押し付けず、イライラせず、尊厳と敬意をもって対応します。 愛とは○○だと言い切れるものではありません。たくさんのキリストの性質が組み合わされたものです。 本当の愛は、周りの人を輝かせるものです。 A2-2.自分を傷つけるものとよりよい関係を心から求めるようになります(7節)。 「すべてをがまんし、すべてを信じ、 すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(7節) 本当の愛は、嫌いな人、付き合うのが難しい人、傷つけられた人との間においてこそテストされます。 「赦さない権利を放棄」するのです。それは自分が既に赦された者だからです。 傷つけられた痛みに耐え、自分を傷つける人の中にも良いところがあると信じ、その人が悔い改めヘ導かれることを期待し、その人のために祈り、聖霊が働くように祈ります。その結果、自分が変えられるかもしれません。そして引き続く痛みを耐え忍びます。 聖霊がこれらを助けてくれます。 これらの16の例は、受難節に心の中を吟味するのによい助けとなるでしょう。 しばらく心の中を探り、祈る時を持ちましょう。 ----- ここ数年間、身近な人の言動に戸惑い、傷つき、腹が立ち、イライラすることが多くありました。 その辛い年月の間に、「それでも、彼らを愛しなさい。」と言われていたことがわかりました。 辛い、辛い、と思っていたけれど、聖霊なる神さまは確実にわたしの心の中に働かれ、私自身、そして周りの人たちの心でさえも変えてこられたことを、今はっきりと確信しています。 これらのことを通して、神様は"愛"を私の中に育ててくださっています。 そう思えると、辛かったことが(決して終わってはいないのですが)感謝の想いに変えられ、辛さも以前ほど感じなくなっていることに気付きます。全く、不思議なことです。自分の力ではありません。 「わたし(神さま)は、あなたを愛している。そして、あなたが彼らを愛することを求めているのだよ。」 こう、温かな声で語られているように感じます。(何となく、ではなく、実感として) 「そんなことできません!」と泣きついた時もありましたが、今は「わかりました。だから、そのようにできるように、どうぞ助けてください。」と応えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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