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 かすみ草 の原っぱ

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19日朝の日記 New! 象さん123さん

荒療治 やまひで0207さん

ぽん ’s world ぽん#さん
2007.04.11
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カテゴリ:Bible
列王記2 6章8-23節より

目で見るとは、実際に何が起きているかを見る目があるということ。
肉の目に見えるものだけでなく、霊の目で神さまが私たちの周りでしている技を見ること。

この聖書箇所には2つの現実が登場します。
ひとつは、地上の肉の目で見る現実、もうひとつは、天で起きている見えない現実。

肉の目で見えるのは、アラムの王がエリシャがスパイあるいはアラム軍の中にスパイがいると思ったこと。イスラエルの王が見た、アラム軍がサマリヤに来たということ。
実はこれらのことは神の業によってなされていました。

目で見えない現実として、神が火の馬と戦車でイスラエル(エリシャ)を守っており、神がアラム軍をサマリヤに連れてこられ、神によって敵(アラム軍)の命も守られました。
全ての人の安全は、神の御手のうちにあるのです。

エリシャも、イスラエル軍も、アラム軍も、この箇所でそれぞれの危機に陥ります。
その中で、エリシャのみが天で起こっている現実を見ることができました。(16節)
そしてその平安は、周りの者にももたらされました。「あなたも天で起こっている現実を見て、この平安を持つことができるのですよ。」(17節)

私たちも周りを包囲されているように思うことがあります。神さまはどこ?!と不安になります。
そんな時、地上の現実に心を奪われるのではなく、天の現実を見ることができるのです。

時々、間一髪、思いがけず守られたという経験があります。自転車に乗っている時など。
それは"ラッキー!"ではなく、神の軍勢、言い換えるとボディーガードに守られたのです!

わたし達を救う、守るのは策略ではなく、神の御手だとすべての人に知って欲しいのです。

守られるとは、悪いことが全く起こらないというわけではなく、ある程度起こらないようにされる、あるいは起こっても無事に家に帰ることができることです。
悪いことが起こっても、クリスチャンにとっては、それを通して神に目を向けることができるのです。
「神を愛する人々、・・・のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる・・・。」(ローマ8:28)
「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(1コリント 10:13)

それには、神の声に耳を傾け、従うことが必要です。反発した私たちを守る義務は神様にはないのです。守ってくださることもありますが、それは私たちへの憐れみです。
私たちも神を見たいと望む前に、モーセと同じように神の声に耳を傾け、聴かなくてはなりません。

「私たちとともにいる者・・・」(16節)これは御使いのことです。新約の世界(現在)では、蜜会を送ってくださった方に焦点をおきます。
地上の現実からは御使いによって守られますが、私たちの心の中には、その御使いを指揮するイエス(聖霊として)が居られるのです。
物理的な危険だけでなく、霊的な危険からも守られるのです。

「からだの明かりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。・・・」(マタイ6:22-23)

イエスさまは悪い目をも癒し、健全にすることができます。

祈り「天で起きている現実が見えるようになるように。」







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Last updated  2007.04.12 15:00:53
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