カテゴリ:日々のカケラ
倒木更新。木が持っている生き方のひとつだ。林道を少し外れたところで倒れているブナの大木に近寄って、ヤギおじさんがていねいに教えてくれた。その木は高さ2、30メートルはあっただろうか。命尽きて、倒れたのだ。いや違う、倒れてもなお、生き続けている。 ブナの根は、意外と浅かった。この倒木の根の厚みも、わずかに数10センチというところだ。大木になればなるほど、大地にしっかりと根を張るものだとばかり想像していたが、これではまるで早々と倒れることを予定しているかのようだ。そう、それがブナの生き方だった。 ブナが生い茂ると、森は暗くなる。暗い大木の下には、稚樹が成長を抑えて小さなままジッと待機している。そして親とも言える大木が倒れ、ギャップという明るい空間が生まれると、光を浴びた次世代が一挙に成長を始めるのだ。脈々と受け継がれ、更新される命。大木はあっけらかんとして倒れていた。なんとまあ、こだわりのない樹木なんだろうかと、その大木によじ上って思った。 倒木更新を調べてみると、北海道の森にもあった。エゾマツ、アカエゾマツ、トドマツは、倒れた木の上で種子を発芽させ成長し、世代交代を繰り返す。地面に落ちた種が育つための環境が、これらの針葉樹林にはそろっていないようだ。幼木は倒れた親木の栄養分を吸収しながら、厳しい自然環境の中で生き抜いて行く。 自然界の営みなどと、一言で片付けてしまいたくない。人に比べたら何十倍、何百倍というゆったりとしたリズムでこの大地に立ち、しかも次代を担う子孫のことまで計算し尽くしている。この数10年で人間社会は見るも無惨に変化してしまった、とは思わないか。ぼくが子どもの頃の開放的な世界が、今あるだろうか。命は受け継ぐものだなどと、いったいどれだけの人が考えているだろう。倒れている木の上で、ぼくは人間でいることが少し恥ずかしくなった。 そろそろ、老木への道をぼくは歩き出す。子孫に残す栄養分の持ち合わせはなにひとつないが、せめて次代が育つ邪魔だけはしないでおこう。ギャップ。それは世代間の溝のことではない。若い世代が伸びるための、明るいスペースのことだ。 下草のように見えるが、地面は2年生のブナの幼樹 たちであふれていた。 あめつちのしづかなる日 in 神戸 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 25, 2007 04:28:58 PM
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