いきなり忙しい年末年始 その2
明けましておめでとうございます本年もよろしくお願い申し上げます年末、もともと予定していた息子に加え、いきなり娘と孫(弟のほう)が帰省。おまけに、正月2日の午後に、妹が旦那と婚家のご両親、義姉一家、計8人で当家訪問の可能性ありという連絡もあり、あわただしい年末年始となった。とはいえ、大晦日の昼前に娘たちがやってきてしまえば、あとは、何することもできない。ご飯を食べ、飲める人は飲み、まだ飲めない娘はお茶にして、テレビなどを見て、話ながら、やがて就寝。突然多忙になったツケは、やはりどこかに出てくるもので、早朝に足がツり2度ほど目覚め、やむなく冷蔵庫までひたすら耐えてたどりつき、かねて用意の芍薬甘草湯を服用し、事態を脱する。半年ばかりなかったことなので、やはり突然多忙の影響と思う。孫たちが早朝から起きだし、まんじりとできないと愚痴ってきた娘は、母親であるウチのカミサンとい孫と同じ部屋で休み、途中、孫が何回か目覚めるも、カミサンの助けもあり、元旦は9時前まで久しぶりにたっぷり睡眠をとることができ、だいぶん回復の様子。9時半ばかりに息子も起きてきて、お屠蘇、雑煮で朝食。終わって配達された年賀状でひとしきり知り合い連中の消息を語り合う。11時に地元神社へ初詣。年々長くなる参拝待ちの列は、鳥居を出て表通りを避けて角を曲がったところまで達するようになっていた。「世田谷区の人口は、今年90万に達するだろう。近くに神社はここしかないから、まだしばらくは長蛇の列だね」ママ友と待ち合わせて、マンションのキッズルームで落ち合うという娘と別れ、僕とカミサンは、例年通り下高井戸へ。元旦というに、刺し盛の予約をこなすためだろう、魚屋の三勇が店の一部を開けていて、道を掃いていた若女将と丁寧な正月ご挨拶。孫が食べるものがないと娘に言われて、カルディで「昼飯に」特売の参鶏湯「たこ焼き買おうか」というカミサンを「帰るころには冷えてまずいだけ」と制する戻って昼飯。娘がやはり帰ると言いだし、カミサンが送ることになったが、一人では嫌だと言われ、付き合いに駆り出される。娘宅まで、さすがにまだ道はすいていて、一時間で往復。帰って6時から、留守番の息子を交えて夕食から、撮りおいたCatch Me if You Canを見ながらの晩酌。先にカミサンを寝かして、多少息子と「男同士の会話で年末食事会に連れてきた彼女の話。「君はいいんだが、あっちの決心の問題なんだろ?」「ああ」「優秀なのか?」「あぁ」松沢中の卒業で、勤務先と業務内容から、そこそこの学歴は想像していた。しかし........。学歴など本来関係ないのは分かっているのだし、息子どのにしても地アタマはそれなりと思うものの学歴は体力勝負系。果たして本格的高学歴彼女のご意向やいかに。チャレンジですよ。これは。「万が一、君が彼女のおめがねに叶わないとき、その原因が俺たちでなければいいがなぁ。こないだのメシはだいじょぶだったか」「あぁ問題ない」「今度カラオケでも一緒するか?」「あいつ、とんでもなくうまいぜ」「いいことだ」オヤジとしては何もしてやることができない。寝室でカミサン「荷が重い かな?」「しょせん男と女ではあるけど、僕にしても、君んときそこそこの気おくれはあった。ハードルの高いチャレンジではあるな」「なじむまでの時間がとれれば 」「あいつじゃなくてお相手の問題だからね。焦る必要はないんだと言い聞かせつつ。俺たちの問題ではないが、俺たちの問題でもある」親としては微妙。切ないような、怖いような。しょせんなるようにしかならないのではあるけれど。:::::::::::::::::::正月二日前夜の酒が幾分残るようで、目覚めを躊躇さわやかに目覚めたカミサンに付き合って、起きたのは結局8時半。朝飯の用意をして、一階の和室で寝ている息子を、カミサンが起こしに行くが、いつまでたってもやってこない。やむなく朝食を済ませたところでようやく息子殿ご登場。仕事疲れ、飲み疲れのせいで食欲がないといいながら、餅三斤入った雑煮を平らげている妹からメールが入り、昼食は一緒にできないが、旦那のご両親と4人、一時過ぎにやってくると連絡。おいおい、それは、俺たちの昼飯時間だぜ。まぁいいや。息子に、仏間でもある和室を開けさせ、来客の用意にかかる。「部屋の中は私がやるから、玄関先を掃除して」「はいはい」玄関の履物を隠し、三和土のゴミを掃き出す。そこから玄関先の砂利、敷石の上、駐車場の枯れ葉、さらにその先の木戸口から道路と掃き清める。といっても、たいしたことではない。そこまでやって仏壇。香炉に線香が立ちにくいので手入れせよとカミサンが言う。灰の中に線香の燃え残りがたまっているのを、ピンセットでとっていく。自分らだけなら、それほど気にならないが、妹の嫁ぎ先のご両親。うまく線香が立たぬようでは、妹にもウチの両親にも面目が立たぬ。「椅子でいいんじゃないか?」「やっぱり座布団でしょ」仏壇回りの手配。「椅子だと、何脚かそろえて入れないと。応接から移しちゃうと、あちらの数がないわ」「じゃ、ご不自由だろうけど座布団だな」整わぬは承知。「お花がないわ。庭から椿と千両、あと”はらん”をとって来て。椿はつぼみに近いヤツよ」「はいはい」それでも12時過ぎにはあらかた用意が整う「早いが昼飯食べとくか」「今、おなかいっぱいだからあとでいい」「終わったあとだと、夕食が6時だから、そいつも調子悪いぜ」「じゃあなただけ食べれば」そう言いながら、作れば自分も食べるくせに。簡単にパスタを用意すると、やはり二階を掃除しているカミサンが「私にも頂戴」と半分ほどをかすめとっていく。「調子が悪い」と横になっていた息子まで「素うどん作れるか?なーんにも要らない」「出汁はいるだろ」「そりゃそうだ。やわらかくできるかい」「うーん。今あるのは冷凍モノの讃岐うどんでコシは飛び切りだが」丹念という銘柄をゆっくり煮てやるそうこうするうちにインターフォンが鳴り、妹一家がやってきた。「やっぱりタクシー」「足もとが悪いから」義弟のご両親。90になられるが、それでも一家そろって正月に上京。お元気なものだ。「温かいし、すべるからスリッパはいらないわ」と母上「東京も正月は温かいですなぁ」と父上朝から暖房しといた甲斐がある。陽射しはあるが1時半で10度を切っている。結構寒いんだ。線香をいただいて、空港までのタクシーを待つ間、お話しをしながら居間でお茶を差し上げる。妹夫婦は、旦那がまだ現役で、ご両親のお世話は姉上ご夫婦に任せっぱなし。子供もないので、実は肩身が狭い。ふだんは悪口ばかりの兄貴ではあるが、両親の手前もあり、粗相があってはならない。どうにかお相手をこなして、一時間ほどで皆さまお帰り。「さぁ、あとはお義父さんとこだけだ」ラグビーを見るが、本腰が入らない。ごろんと横になって、4時過ぎまで午睡をとる。やはり疲れている。「5時経堂駅待ち合わせだからね」カミサンに起こされる。娘と孫息子は自宅から、婿さんと孫娘は常磐沿線の実家からやってきてくれる。それをカミサンが迎えに行くのだが、帰りも、同方向の娘一家と息子を送っていくと言って、「貴方は自転車でいいでしょ」車の乗車定員と、ベビーカーまであり得る彼ら彼女らの荷物を考えると、僕が乗る余地はない。ふだん、義父宅まで自転車で行くことも多いので、構わぬのではあるが不満も残る。まぁ、妹一家のお世話もあるし、アイコ。息子が開いている仏壇に「挨拶してくか」と線香を差し上げている。支度のある彼らをおいて、僕のほうが経堂駅まで先発。「私ら5時半ぐらいだから、早く着いちゃって待たせると悪いから」寒い駅頭へ先発して待っていろとのご指示。「はいはい」経堂駅5時7分到着。10分ほどで、カミサンと息子が到着したところで、娘と孫息子到着。婿さんと孫娘は「途中で降りちゃったから遅刻するみたい」孫娘のトイレまた、僕だけ先発して義父宅へ。5時半過ぎに着くと、既に義妹一家が到着していて、義父と応接で待っている。「じゃぁ、もう行くか」せっかちな義父は、先頭を切ってレストランの個室へ向かう。僕は、「どうなさったのかしら」という義妹に、婿さんと孫娘が電車で途中で降りてしまい.....良く分からぬ説明でもちろんあちらも要領を得ない。部屋で我が家一党の到着を待つが、いつまでたってもやってこないのに義父と義弟は業を煮やしビールとワインを開け始める。僕はかねて持参の自家製からすみを「これ焼いてスライスしてくれる?」と係の人にお願い。ようやく携帯で息子に電話すると今着いた。ちょうど6時。彼らが部屋に入り、ビールで乾杯。義妹一家とウチの息子は、珍しいのだろう、孫息子を交替で抱こうとするが、年末多少慣れた息子以外は、軒並み厭々をされる。宴席は一時間半ほど。ビールと赤ワインが用意されたが、飲めるのは義弟とその息子、そしてウチの婿さんの3人。自転車の僕を含めて、カミサンと義妹は運転。ウチの息子は体調すぐれず、娘は育児中。婿さんは今日のワインはおいしかったと言っていたが、結局ワインはボトル一本しか空かなかった。義父に挨拶して、引き揚げる。「にぎやかでよかった」と息子「叔母さんも今日で終わってよかったじゃない。明日はゆっくりできるね」と娘自転車で8時前帰宅。着替えて横になり、カミサンの帰宅を待つ。