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経堂界隈

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October 15, 2010
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カテゴリ:経堂町小史
世田谷区赤堤
小田急線の経堂駅、或いは、豪徳寺駅を最寄り駅とする世田谷区屈指の高級住宅地というイメージだが、先に発達したのは、赤堤の中では北側(京王線、甲州街道側)の4丁目、5丁目。
京王線下高井戸駅南口の日大通りを中心とする地域。

1丁目、3丁目(2丁目もそうかな?)は、さしずめ高級住宅地「赤堤」、それからすると4丁目、5丁目は「庶民の街」だ。

その赤堤の「高級住宅地」と言われる部分(主として三丁目西福寺通り東側)には、気が付きにくいものの、他の住宅地には見られない際だった特徴がある。
それは、道路に対し宅地部分が1mから場合によっては2m以上も高くなっていて、各戸の玄関までにスロープ乃至石段が設けられており、そのことにより道路側から住宅敷地内のプライバシーが守られていることである。

当たり前
そんなものは方々にある
と言われるだろうが、
あれだけ広範囲に、そういう宅地が広がる光景は、僕も日本をはじめいろいろなところに行ったことがあると自負するが、赤堤三丁目を中心とする、あの一帯以外には見られぬ稀有な光景なのである。
住宅が一段高いところにあることには、大分前から気づいていて、赤堤は何かが違うと思いつつも、どこか、どういうふうに、なぜ?とまとまらぬままにあったのが、ようやく考えがまとまってきたので、メモをしておくことにした。
ヒントは、赤堤には急坂がないというところである。

::::::::::::::

高級住宅地「赤堤」は、(桜)新町を皮切りに、上北沢、成城学園、深沢...と続く世田谷区内の住宅地としては最後発である。
その理由は、京王、玉電(世田谷線)、小田急の最寄り駅からの距離が遠く、或いは、北沢川本支流によって隔てられ、渡河地点が限られていたこと
戦前から1950年代後半までの長期間にわたる区画整理事業が行われ、宅地開発に制約があったこと
があると思う。

赤堤の区画整理事業は、第二次世界大戦前、1930年前後にさかのぼる。
当時、赤堤は、上北沢、桜上水、松原とともに、松沢村に属していた。
世田谷町、駒沢町、玉川村、松沢村が合併して世田谷区が成立したのが1932年であるから、区画整理事業は、旧松沢村以来の計画である。
松沢村では、1920年代中盤、関東大震災後に急速に都市化が進行。上北沢(現3丁目、5丁目)、桜上水(現5丁目および経堂駅を最寄り駅とする現1丁目南側)、松原といった京王沿線に新たな住宅地が分譲されていった。
その中で最後に残されていたのが赤堤、下高井戸駅、豪徳寺駅近くでは宅地分譲も行われたが、その後背地は未整備のまま。
但し、そのあたりは前述のごとく交通の便が悪く道も細く複雑であった。
最寄駅は、玉電六所神社駅、その後移転して玉電松原駅(現世田谷線松原駅)だが、北沢川支流に沿って走る玉電(現世田谷線)からすると、開発地域は、駅からすぐに急傾斜がはじまり、住宅地としての利便性としては甚だ面白くない。
現在の上北沢、桜上水町内をみても北沢川北岸は戦前に開発されているに対し、駅から北沢川本支流を渡った先の開発は戦後のものである。

大規模な造成をやるほどの金はない。
そこで、考えだされたのが、宅地部分の高さはいじらず、区画整理と同時に建設される道路を掘りこんで、急坂を解消しておく方法だった。
赤堤通りと、都市計画道路補助53号線にあたる道路、およびその間の東西道路を、このように、台地の中に下高井戸駅から六所神社かけて南北に流れる北沢川支流から徐々にゆるやかな勾配をつけて掘り進む。
その間に何本かの南北道路を同じく掘り進み、結果として今のような街区が形成された。
だから、赤堤三丁目の中には、道路より一段高いところにある不思議な畑が見られるのである。普通、造成は土地を盛り上げる。ところが赤堤は、台地を掘り下げて道だけ通したのである。

赤堤(三丁目)は、碁盤の目状の道路でありながら、宅地は昔の台地の高さを残し、ゆるやかな坂で、高低差を解消し宅地のプライバシーが守られる。歩きやすく、かつ、街として飽きない自然のアンジュレーションが残る。
一連続いた、戦前の世田谷区内宅地開発ノウハウ最後の集大成が赤堤なのである。

赤堤以前には、ノウハウがなく、かつ、需要に供給が追い付かず、配慮にかける時間もお金もなかった。
赤堤以後は、赤堤ほどの規模での開発適地がなくなり、かつ、赤堤以上の傾斜地しか残されていなかった。ゆえにひな壇のような造成地ばかりとなり、
結果、あの赤堤の不思議な雰囲気は、赤堤だけのものとなっている。





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Last updated  October 15, 2010 10:33:44 PM
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