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カテゴリ:宿泊
散歩から部屋に戻って、少し休む。 朝食は8時から。 金泉堂へ。 金泉堂2階で。西別館の人は西別館2階の大広間。 天気も良く、青根御殿と庭園が映える。 夕と同じ個室。 障子を開けると庭と山が見える。 鰆西京焼きほくしっとり、出し巻き玉子ふんわり。 温泉玉子とろっと濃厚、たらこ、昆布の佃煮、しらす。 サラダ新鮮でクルトンさくさく。グレープフルーツ甘い。 漬け物しっかり。ごはんつやもっちり甘み少し。刺身蒟蒻くにくに、酢味噌合う。 小鍋は肉団子やわらかじわっと、野菜くったり、あぶらっこめ汁に生姜きいててうまい。 かぼちゃ煮物ほっこり。味噌汁ていねい。豆腐プリン素朴。 朝も種類が多くて美味しかった。 道路側にも出窓があって、青嶺閣の玄関棟、山々の見下ろしの景色。 ツレは、金泉堂1階でコーヒー。 オレだけそのまま、湯屋の御殿湯へ。8時から再び奥が男になっている。 大正時代の浴場取締規則。 男は男用、女は女用に入れ、12才未満は例外。放尿など不潔行為禁止。洗濯禁止。浴場内で石鹸や洗髪禁止。浴槽内には柄杓以外入れるな。伝染性疾患や忌み嫌われる疾患の人は入浴禁止、ただし効能に書いてある疾患は可。暴れたり迷惑行為禁止。 ここ、歴史がすごいから、秘湯ミュージアムみたいだな。 朝シャンするのに広い方が気分がいいからね。 まあでもシャワーは一つだな。鏡も温泉で腐敗するからポータブルだし。 風情があって、朝の空気と光もすがすがしく、気持ちよい。 で、急いで部屋に戻って降りて、 8:50から青根御殿見学ツアーがあるのでロビーに集合。 14名ほどの参加だった。 青根御殿は山の方にあり、国の登録有形文化財になっている。 女将さんに引き連れられ、金泉堂2階へ。 奥の通路を渡って、入口。 お殿様の宿泊先だけあって絨毯敷き。 7代仙台藩主の伊達重村の湯治日記に宮尾しげをが絵を付した殿様の湯治。 安永7年(1778年)9月19日の朝7時、青葉城より家来を連れて馬で青根温泉へと向かい、9時過ぎ弁当、夕5時に到着。夜食をとり、夜9時に入湯、9時半に寝る。 月末、9時前に起きて、朝食、山登りをして、暮れ方帰り、温泉に入って寝る。 10月1日、9時過ぎ起きて、入湯し身を清め、宿裏の湯神薬師へ参詣。 3日、山で鹿を追うも獲れず、猟師が捕獲。 4日、片倉小十郎(代々当主が踏襲)の使者が味噌漬け・鰻・豆腐を献上に伺う。 5日、宿裏で横綱 谷風など相撲見学。 8日、遠刈田へ参詣、野馬を追う。 11日、仙台へ帰る。 中村勘三郎のナスの絵。 そして青根御殿へ入場。 まずは一階。 回廊の中に左大臣、右大臣の間。 1528年に佐藤仁右衛門が青根温泉を開湯、当旅館を築き、江戸時代初めに伊達政宗が仙台62万石の伊達家の湯治湯としてから大いに発展した。江戸時代の古文書などが展示されている。 まあ歴史より眺めフェチの僕としては、この木造建築と景色の素晴らしさに目が奪われる。 左大臣の部屋。 温泉税などでの仙台藩とのやりとりの書簡など。青根への道中に使われた道具類。弁当箱も。 女将さんが説明してくれる。 右大臣の部屋。 こちらにもいろんな書物。川端康成の書、仙台藩の御殿湯だった秋保の佐勘とのやりとりなど。 景色オタなので、やはり気になったのは明治時代の青根温泉全景。 左上が蔵王、そして真ん中から左の壮大な建物が不忘閣で、左端に青根御殿、その右下に大湯がある。 真ん中から右の縦長の建物は、丹野七兵衛旅館(2007年に閉館した青嶺閣)。 当時は、伊達藩の湯治湯から明治の文明開化、多くの人でにぎわい、その主体が不忘閣と丹野七兵衛旅館だったのだろう。 解説が終わり移動。 一階は左大臣、右大臣だから行政担当だったのだろうが、昔は宿泊することもできたそうだ。いいなあ。 欄間には、伊達家の紋が入っている。 急に見学一行が騒ぎ始めたと思ったら、外にカモシカ。 時々餌を求めて現れるそうだ。 奥には洗面所、厠。 二階へ。 二階は一階とほぼ同じ造りだが、真ん中は正宗の間。 奥の政宗公とお供の方々の部屋は一段高くなっている。 政宗の父、伊達輝宗の甲冑。伊達政宗が使った弓、好きなウサギ。 伊達家家宝の掛け軸など。 手前は姫の化粧道具。 政宗公以来、代々の藩主が利用していた部屋。 家宝の金屏風、掛け軸、像など。 第4代仙台藩主の伊達綱村の書状、第5代藩主の伊達吉村の和歌、政宗公の直筆のものもあるらしい。 戦国時代を生き抜き東北に一大勢力を築き上げた仙台藩初代藩主、伊達政宗は1600年頃にここを訪れ、青根の湯の良さ、絶景の山並みの遙か向こうに青葉城を見下ろせ有事にも迅速に対応できることに感銘し、そのことを忘れないように不忘と名付けた。 その後、伊達氏の御殿湯となり代々藩主が青根御殿で湯治をし、不忘閣は発展した。 今のものは明治に焼失し昭和7年に再建したものだ。
この回廊からの眺めが最高で、 東に、中庭、金泉堂、大湯、湯屋、青嶺閣、青根の山々、そして遠くに、 青葉城は天守閣ないから見えないけど、仙台の街、石巻湾、うっすらと牡鹿半島。 正宗が見た絶景がある。 2015年のJR東日本のCM「行くぜ、東北」、この青根御殿からの眺めだ。 来れて良かった。 北には庭園、金泉堂、西別館、そして樅の木が一本。 伊達騒動を描いた山本周五郎の「樅ノ木は残った」のモミだ。 伊達騒動とは、「1660年に藩主伊達綱宗が所行の乱れを理由に幕府から隠居を命じられ、2歳の亀千代(綱村)が家督を相続した。伊達兵部宗勝が後見役となり、原田甲斐と結んで実権を掌握。それに不満をもった保守派の伊達安芸と伊達式部宗倫の所領争いが起り、安芸は藩内の実情を幕府に注進した。1671年大老酒井雅楽頭(うたのかみ)忠清の屋敷で裁決が行われたが、安芸は甲斐に殺害され、甲斐は酒井家家臣に斬られ、宗勝は処罰されて伊達家は安泰となった。」事件。 悪役とみられる原田甲斐だが、小説では、実は雅楽頭と兵部が密約して仙台藩の弱体化と権力強奪を計って、その密約状がばれるのを恐れた雅楽頭が安芸と甲斐を殺害した事件で、甲斐は仙台藩のためにあえて物言わず殺されたことになっている。甲斐の言葉、「私はこの木が好きだ。この木は何も語らない。だから私はこの木が好きだ。」の樅の木だ。 説明が終わると、自由解散。 写真撮りながら帰る。 一階に降りると、戦前の画家 川端龍子の蔵王権現。 御殿を出て戻る。 金泉堂の方へ。 金泉堂には、古賀政男が療養していた竹の間がある。 青根温泉489年、歴史と格式があり、多くの文人、芸術家に愛されてきた宿だ。 約15分、価値のあるミニツアーだった。 後は部屋に戻って外を眺めながらゆったり、殿様の景色には叶わないけどね。 10時には帰る。 宿の案内図もシンプル。 近場だけど、青根の自然の中で明治から昭和の格式ある建築に触れながら、雰囲気のある温泉、特に大湯と蔵湯につかり、美味しい食事に舌鼓、殿様気分でゆったりできる魅力ある宿だ。 離れの不忘庵は、トイレと階段がちょっとだけど、眺めのいい部屋と洋式トイレ指定(便座カバー持参)で来てみたいし、楽で御殿の眺めの西別館でも金泉堂2階や向かいの広場まで行けば日の出見れるし早め予約で泊まりたい気もする。 休前日でもコスパよく混んでてもほとんど気にならないけど、空いてる時に大湯貸切とかもしてみたい。 いずれにせよ、また来るぜ、東北。 http://www.fubokaku.com/ 不忘閣 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年05月26日 20時32分41秒
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