カテゴリ:信仰生活
総会のメッセージから抜粋します。使徒の働きからメッセージがありました。パウロがクリスチャンたちを迫害していたとき、光に照らされて、地に倒れました。その時に、イエス様がこういいました。ここから聖書の言葉です。 ----------------------------------------- 26:14 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』 (26章14節) ----------------------------------------- イエス様は、パウロに、「なぜ私を信じるクリスチャンたちを迫害するのか」とおっしゃったのです。なんだか分からないですよね。だって、パウロは、イエス様を迫害した訳ではないからです。神様を信じる私達の中には、イエス様が心の中におられるのです。洗礼を受けて、イエス様を信じるという告白をした瞬間、イエス様がおられるのではないでしょうか?これは私の推測ですけど。 それで、イエス様はこうおっしゃいました。{『とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』 これも、変な感じです。パウロは、とげのついた棒で、クリスチャンを迫害して叩いている立場です。棒を自分の足で蹴っているわけではありません。このイエス様の言葉には、大変奥深いものがあります。迫害して、あなたの心はとげで指すようにいたみませんか?とおっしゃっているのです。 パウロのしたことを攻めもせず、こういうのです。攻められても可笑しくない状況です。そこが、イエス様の赦しと神様のご計画なのです。そんなパウロが、なぜ神様は選ばれたのでしょうか? 私は、最初、この熱心さを評価されたものと思ってました。しかし、メッセージの答えは違いました。 「パウロは、クリスチャンを迫害したという人間的な弱さを持っているからなのです。 イエス様を伝える弟子たちも、全て弱さを持っています。ペテロは、十字架につけられたイエス様を、「知らない」と嘘をつきました。それでも、イエス様はペテロをお赦しになりました。 聖書には、大切な一言が書かれています。それは、 ----------------------------------------- 26:19 「こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、}」 ----------------------------------------- とあります。つまり、神様からのメッセージにパウロはそむくことができたのですね。 牧師先生からそう言われたとき、私も神様の教えにそむいてしまっているかも知れないと思いながら聞いていました。 私たちも、誰かに意地悪したり、怒りを覚えたりすることはあります。その時に、イエス様はこうおっしゃっているはずです。サウロを自分の名前と置き換えてください。私は涙が出ました。 『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.27 21:55:20
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