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元演歌歌手の藤圭子さんが、西新宿の自宅マンションから転落死したニュースは、瞬く間に日本国中に広がりました。
言わずと知れた現代の歌姫“宇多田ヒカル”さんの生みの親であり、ご本人も往年の演歌界の歌姫と言われ、お人形のような風貌と心の奥底から低く響くハスキーボイスで一世を風靡しました。 若くして成功し、その後は引退して天才アーティストを産んだことで、莫大なお金までをも獲得した人が、なぜ投身自殺をすることになったのでしょうか。 彼女の心は、いったいどのようになっていたのでしょうか? 「心」とは、他人(両親や兄弟・親族、また親友等の大変親しい関係者も含む)からの評価に対する自己反射的な要素から作り上げられる、と考える運命学者がいます。 私もその意見には肯定的です。 例えば、赤ちゃんが笑うとそれを見たご両親が喜ぶ。 それを赤ちゃんなりに理解して、自分が笑えば両親や他人が喜んでもらえた体験から、子供に成長してからも、他人から良好な反応を得るために、自分の意志とは関係なく、笑顔を作る子がいるそうです。 (そういえば、昨今では“天才子役”が急に増えたような気がします) 相手の反応が良ければ、自分も気持ちが良いと反応をするのが「心」の作用なのです。 この様に、心は、過去の経験で「気持ちが良い」と感じたことに傾向するようです。 極端な例では、親から暴力を受けた子供(特に女児)は、成長して大人になってから付き合う男性も暴力を振るう人を選んでしまうというのです。 一見、信じがたい論説ですが、考えてみると、そのような事例は幾らでも世間では見受けられます。 また、子供のころに親から虐待を受けた子は、成長した後に、自分の子供に虐待をする傾向があることは、心理学の研究結果として聞いたことがあります。 藤佳子さんが、幼いころから、浪曲師の両親から歌を特訓され、彼女の生まれ持った才能も相まって、夜の繁華街の酒場で流しとして歌う彼女を聴いた人たちから、「すごく上手」「素晴らしい」「なんてステキ」と好意的な反応がもたらされれば、子供は無心に嬉しいと反応するはずです。 十代でデビューし、60年代終わりから70年代までの一世を風靡した“歌姫”の心は、世間からの高い評価を得れば得るほどに敏感に反応し、昔に体験した「気持ちが良い」ことに傾向する自分の「心」と、本当の自分の「意志(≒精神:目指す道)」のギャップに、大いに悩んでいたのではないでしょうか。 その“精神”を追求してこなかった人、つまり「自分とは何者なのか?」「何をするために生まれてきたのか?」を追及しなかった人は、晩年になっても心は迷い続けるとされます。 その意味から、彼女は大いに自分の精神を追求することで、心の安定を求めていた正にその途上ではなかったのか?と察しますが、その真意は如何なのでしょうか。 ご冥福をお祈りいたします。 “〆‘(ェ)’*) サササッ 小熊Q太朗 でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.09.06 22:58:24
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