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テーマ:日本史について語ろう!(97)
カテゴリ:飛鳥時代
645年6月12日。
空は今にも雨が降り出しそうな重苦しい曇天。 この日は「三韓進調の日」、すなわち朝鮮三国からの”貢ぎ物”が、大王(天皇)に”献上”されるという儀式が行われることになっていました。(これはあくまで、日本側で勝手にやっていた儀式でして、朝鮮三国よりもわが国は上である、ということをアピールするのが目的だったのでしょう。三国からしてみれば失礼きわまりないですけど^ ^;) 儀式の場には、皇極(こうぎょく)天皇や中大兄皇子や古人皇子たち、そしてトップクラスの豪族たちが顔をそろえる手はずになっています。もちろん大臣・蘇我入鹿も、出席するべく参上してきました。 入鹿の所持している武器を取り上げて丸腰にする、これがまず最初のハードルでした。もっともごうまんな彼のこと、外せと言われて素直に従うような人物ではありません。無理強いすれば、逆に怪しまれる可能性は大です。それではすべてが水の泡! そこで登場したのが道化師でした。彼は入鹿をうま~くおだてて笑わせて、上機嫌のうちに武器回収を行ってしまったのです(個人的にはこの人が最大の功労者ではないかな~と)。ちなみにどんな道化を行ったのかは、残念ながらよく分かっていません。 丸腰になった入鹿もまじえて、儀式がついにスタートしました。蘇我石川麻呂が朝鮮三国からの書を読み上げ、その最中に佐伯連子麻呂(さえきのむらじこまろ)らが入鹿に襲いかかる段取りになっていましたが、なぜか一向に出てくる気配がありません。 読んでいる石川麻呂は当然のことながら、気になって気になって仕方ありません。冷や汗が吹き出し、声の調子は乱れ、書を持つ両手はがたがたふるえてきました。その場にいた中大兄皇子も、無表情を保ちながらも、心臓はバクバクものだったでしょう。その心臓が死ぬほど飛び跳ねたのは、入鹿が石川麻呂に声をかけた瞬間でした。 「石川麻呂、そんなにふるえて一体どうしたのだ?」 これはバレる!!そのとき、中大兄皇子の手は太刀の柄にかかっていたのかもしれません。しかし石川麻呂は何とか踏ん張りました。 「お、大王のおそばで、大役を果たしているのが、あまりに恐れ多いので、き、緊張してしまいまして……お見苦しくて申し訳ない」 この言い訳に、入鹿は納得しそれ以上追及することはありませんでした。とりあえず目下のピンチは切り抜けたのでした。 ほっと胸をなでおろしながら、皇子は柱のかげで待機している子麻呂たちをにらみつけます。しかし<早く殺れ!>と厳しい眼光でおどしても、彼らはすっかり気後れしてしまい、まごまごしてるばかり。 ついにしびれを切らした皇子は、みずから「ヤーッ!!」と、入鹿に斬りかかったのでした! 仰天して立ち上がった入鹿。そこに子麻呂らもようやく現れて、入鹿の足に一太刀浴びせます。飛び散る血しぶき、すさまじい悲鳴、晴れがましい儀式の場は一転して修羅と化したのです。 このままでは殺される!と入鹿は必死に体をひきずって、大王の御許までたどりつきます。 「ど、どうか、どうかお助け下さい!わたくしに一体何の咎がありましょうか、この大臣、蘇我入鹿に!」 けんめいに命乞いをする入鹿を見て、ただただ戸惑うしかない皇極天皇。というのも、彼女には中大兄皇子らの計画が何一つ伝わっていなかったからでした。「一体これは何事じゃ!」と問う天皇に、息子はひとこと言い放ちました。 「蘇我入鹿は大王家をほろぼし、大王の位をも危うくしようとしている大罪人でございます!」 阿鼻叫喚の修羅場に、ふっとおりた一瞬の静寂……そして奥へ引っ込む天皇の気配。母は息子のたくらみを察し、入鹿殺害を認めたのです。 「今だ、やれ!」 見捨てられた入鹿に子麻呂たちが襲いかかり、いっきにとどめを刺しました。いつしか激しく降っていた雨は、入鹿の大量の血と混じり、赤い水となって子麻呂や皇子の足元をひたしていました……。 味方を得られなかった蝦夷は、翌日自邸で自殺し、繁栄をきわめた蘇我氏本家はこうしてあっけない最期をとげたのでした。この一連の事件を乙巳(いつし:この年の干支)の変と呼んでいます。 中大兄皇子らのたくらみは見事に成功しました。しかしこの成功は、彼らのえがいた夢のほんの序章にすぎず、ここからが本当の正念場でありました。 次回は「始動☆大化の改新(仮にしておいた方が絶対いいでしょう)」をお送りします! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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