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戦後60年ということで、今年もアジア・太平洋戦争を振り返る番組が多くくまれていますね。
先日はアニメ「火垂るの墓」と、女優・綾瀬はるかさんが出ていた原爆の特集を見てみました。といっても、前者はどうしても泣けてくるので、今回は前半部分をちょこっとだけ見ました。 「せつこも、お金持ってんよー」と誇らしげにお財布を開ける節子ちゃん、「お母ちゃんには会えへんの?」と駄々をこねる節子ちゃん(いつものことながらセリフうろ覚えなので、間違っていたらごめんなさい)。可愛らしいぷっくりした顔もそうですが、あの小さなシルエットを見てるだけで切なくなってきました。 スタジオジブリは本当にうまいですねえ。夕日が差し込んで、校庭に節子ちゃんの影が伸びるだけで、何かじんときちゃうのです。 「火垂るの墓」をあまり見たくない要因は、もうひとつあります。 幼い兄妹の末路がとっても悲しすぎるゆえに、それを何とか消化するため、ついつい親戚のおばちゃん(名前が分からん…って、名前ありましたっけ?)に怒りをぶつけてしまうからなのです^ ^; 「おばちゃん冷たすぎ!こんなかわいそうな兄妹なのに、少しはいたわってくれや!!」 (忠犬はち公の映画でも、同じようなことやってたなあ^ ^;) ですが冷静になると、私におばちゃんを責める資格はあるのかなあ…なんて思ってしまうんですね。 平和で満たされた社会で生きている私は、ちゃんと余裕があるから、思いやりを持とうとさえすればそれが可能なワケで。でもおばちゃんはいつ終わるともしれない戦争の中、食べ物もロクに手に入らなかった極限状態の中、おばちゃんなりにけんめいに生きてきたワケで(たびたびすみません、ここらへんもあいまい…ちょっとおばちゃんを美化しているかも)。 私がおばちゃんと同じような境遇に置かれたら、思いやりのこころを忘れずにいられるんだろうか?……答えは限りなくノーに近いような気がします。 なぜなら、私は自分の人間性(これは善の方ですね。悪の方もあるけど今はパス)を絶対的に信用できないからなのです。戦争のような過酷な社会に放り込まれたとき、はたして善の人間性を持ち続けることができるのか、はなはだ自信がないからなのです。 だから戦争はイヤだなあ、とつくづく思います。自分が死ぬのももちろんイヤだけど、自分を見失ってだれかを傷つけたり殺したりするのは絶対勘弁したい!と思います。 かりにお上がどこぞの国をあしざまに罵って、その国民を鬼や悪魔のよーに扱いだして、国民の敵愾心をあおり始めたら…ソッコー日本から脱出しようと決意しています。 少なくとも一緒になってヒートアップするのだけはゴメンこうむりたいですね。悪役を作って盛り上がるのはいともカンタンだからなー。 歴史を動かしてきたエネルギーのひとつに戦争があるため(日本史でいえば壬申の乱、源平合戦、関が原の戦いなどなど…)、一概に戦争を忌避することができないのがイタイところですが、それでも戦争はこれから絶対にしちゃいかん!と思います。 人間(子どもは除く)はまだマシな方なんですよね。言葉があり、理解もでき、アクションも起こせるから。だれもが本気になれば、戦争を食い止める力を持っているはずなんです(まあ、そうはいってもエラク難しいんだろうけど…)。 でも動物たち(子どももそうですね)はなんにも分からないまま、戦争の惨禍にだけは巻き込まれてしまいます。それにはホント怒りをおぼえてしまうんですよ。あまりに理不尽すぎて。 自分の人間性を失わないために、人間と同じように生きている動物たちを殺さないために、戦争のない世を切に願います。 「火垂るの墓」のストーリー紹介と、くわしい解説がのっています。読み直したらようやく思い出した…。 なかやまらいでんのひみつ基地「火垂るの墓」 ……でも、やっぱりおばちゃんってヒドイよね……イケズだわ……(ひとり言です、すみません^ ^;)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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