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1990年、イギリス、ベルナルド・ベルトルッチ監督、デブラ・ウィンガー、ジョン・マルコヴィッチ。 ベルトルッチ監督の作品を観るたびに感心するのは、彼の映像は、”光と闇”の配置・コントラストが秀逸かつ絶妙であるということ。 また、ダンス・シーンも、それぞれの作品で個性的で印象的なものが多いですね。 **************** 終戦後まもない1947年、北アフリカ。 ニューヨークからやって来た作曲家のポート・モレスビー(ジョン・マルコヴィッチ)とその妻で劇作家のキット(デブラ・ウィンガー)の目的は、単なる観光ではなかった。 求めるべき夢を失なった彼らの深い喪失感を、あてどもない拡がりを持つ異国の世界で癒すためだった。 その旅の道連れとなったのが、ポートの友人で上流社会に属するタナー。 結婚して10年、夫との心のすれ違いを感じるキットに、かねてより彼女に心を寄せるタナーは接近してゆく。やがて3人は次の目的地に向かうが、車で向かうポートに対して、キットとタナーは汽車で別行動をとった。 ある日、ついにキットとタナーは一夜を共にするが、アフリカ奥地の風土に嫌気がさしたタナーは別の土地へ向かった。 二人きりになったポートとキットは、アフリカの蒼穹の下でひとときの愛を確認しようとするが、上手くいかない。 やがて、ポートは伝染病(チフス)に罹患する。キットの献身的な看護も虚しく、医者もいない砂漠の果ての町でポートは息絶えた。 一人きりになったキットの旅は、しかしまだ続く。 彼女は砂漠を往来するアラブ人の隊商の中に身を埋め、男と体を重ねるが、彼女の眼はもはや何ものも映し出さないかのように虚ろであった。 キットは砂漠からタンジールへと連れ戻されるが、もはや彼女はもとの自分へと返ることなどできない。タナーが一瞬目を離すともはや彼女の姿はどこにもなかった。 **************** 原作はポール・ボウルズによる同名の小説で、ポール自身この映画に出演しています。それも、冒頭とラストの同じ飲食店のシーンで。つまり、キットは、ポールに見守られてアフリカのたびに出発し、そして最後にポールの前に帰ってくるのです。このようにして、物語の円環が閉じられるのでした。 映画や小説では、夫であるポートが先に死亡し残された妻が旅を続けますが、現実には作者のポールは妻に先立たれています。ですから、作品と現実は鏡像の関係にあるわけです。ポールは、先立たれた愛妻のことを想いながら、(亡くなった妻のメタファとしての)キットに作中で旅をさせていたわけです。 題名の「シェルタリング・スカイ」は「守りの空」といった意味です。 ・では、空とは何(誰)なのか? ・また、空は、誰を何から守っているのか? 私は、空は死亡したポートで、空(ポート)がキットを宇宙の闇・虚構(=死)から守ってくれているのだ、と解釈しています。 この映画の前半・中盤の基調は、ポートとキットは確かにお互いに愛し合っているのに、お互いに自分を見失っていて、一緒にいてもどうしても幸福になれない、という重苦しい空気にあります。ポートは、この空気をニューヨークで既に感じ取っており、それを払拭するためにアフリカの地へとやってきたのでした。 ポートは思い出の地にキットと二人でやってきます。その地は、ちっぽけな人間なぞゴミぐらいにか思えなくなる雄大な場所です。ポートは、自然と融合するかのごとくその場でキットと交わり、すれ違いの愛をなんとか克服しようとしたのでした。しかし、残念ながらその試みは失敗してしまいます。 タナーという”触媒”によっても、この問題は解決しません。 その後、ポートは伝染病で死亡し、キットが一人で旅をするのですが、この設定は原作者ポールの実生活の鏡像になっていることは前述しました。 思うにポールは、亡くなった後も常に自分を見つめ庇護してくれる妻の存在を感じながら、アフリカで生活を続けていたのではないでしょうか。その感謝の意を伝えたくとも、妻はもうこの世にはいません。ですからポールは、小説を執筆し、そのなかで逆に自分(=空)が妻を庇護することをもって、感謝の意や愛情を切なく表現したのです。 現世では幸福になれない愛しあう二人。 先に亡くなったほうが空に登り、護りの天使となる。 そういう愛のかたちもあるのだ、と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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