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2002年、オーストラリア、フィリップ・ノリス監督。
1930年代から70年代にかけてオーストラリアでは、先住民アボリジニに対する隔離・同化政策がとられていました。 この政策の対象となったのは、アボリジニと(イギリス系)白人との間に生まれた混血児たちです。その多くは、アメリカにおける黒人と白人との混血児同様、白人男性によるアボリジニ女性の「レイプ」によって産まれた子供たちです。 「レイプ」のほうではなく混血児の存在そのものを問題視したオーストラリア政府当局は、幼い混血児をアボリジニ家族から引き離して隔離し、子供達に英語教育、白人文化、キリスト教を施して白人社会に適応させ、一定の年齢に達したら少年は農夫として、少女はメイドとして白人家庭で使用するという政策をとりました。隔離された子供たちは、施設から出ることはもとより、母親と再会することさえ禁じられていました。 先住民女性のメイドという職業ですが、これまたアメリカと同様、白人男性の性の対象と暗黙に了解されていたわけですが、この政策の主眼は、混血女性を外見的(皮膚の色)にも白人化させることでした。白人男性とアボリジニ女性との間の混血児(ハーフ)を(アボリジニ男性から隔離して)メイドとして使用しながら白人男性と交わらせ(クォーター)、その子供に対してさらに同じことをくり返せば(オクタム)、外見上は白人と殆ど変わらない人間になってゆくという次第です。このようにして、現存する混血女性を<白人の側>に取り込み、もって混血児問題を”解消”しようとしたわけです。 この隔離政策に遭った子供たちのことを「Stolen Generation(失われた世代)」と称します。 シドニーオリンピックで現役の選手としては異例の聖火の点火役をつとめ、陸上女子400m走で金メダルに輝いたキャシー・フリーマンの祖母も、この隔離政策の犠牲者でした。オーストラリア政府としては、フリーマンを起用することによって、白人と先住民アボリジニとの「和解」を国際的にアピールしたかったのでしょうが、アボリジニたちからは、フリーマンのように華々しく活躍する者にだけスポットライトがあてられて、貧困にあえいでいる他の大多数の先住民に目が向けられない、と批判する声もあがったそうです。 しかし、フリーマン自身は、いろんな声があることに悩みながらも、「自分がオリンピックで活躍することで、アボリジニの子どもたちに希望を与えることができる」という判断で、オリンピックでのさまざまな役割を引き受けたのでした。オリンピックで彼女がみせた複雑な表情の背景には、そういう事情があったのです。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 【ストーリー】 1931年、オーストラリア。先住民アボリジニの混血児を家族から隔離し、白人社会に適応させようとする隔離・同化政策により、14歳のモリーと妹で8歳のデイジー、モリーの従妹である10歳のグレイシーという3人の少女が、強制的に寄宿舎に収容された。 気丈なモリーは息がつまるような施設の環境が耐えられず、母のもとへ帰ることを計画。脱走した3人は、1500マイル(2400キロ)にもなる厳しい家路を歩き始めた。あてどなく荒野をさまよっていた3人だったが、ある白人女性に、故郷ジガロングへと通じるオーストラリア大陸を縦断するうさぎよけ用のフェンス("RABBIT PROOF FENCE"=映画の原題)を教えてもらう。 フェンスを頼りに歩いていく彼女たちを、アボリジニ保護局の局長ネヴィル、そしてアボリジニの追跡人ムードゥが追い掛ける。やがてグレイシーが彼らに捕まってしまう。 最後の気力を奮い起こし逃げ続けるモリーとデイジーだったが、フェンスは途中で途絶えていた。絶望する彼女たちだったが、やがて精霊の助けを得て、見事2人は故郷にたどり着いて母との再会を果たし、90日に渡った旅を終えたのであった。 この映画の原作は、『RABBIT PROOF FENCE』という同名の本です。著者はモリーの娘ドリスで、母についての物語を綴ったノンフィクションです。 この親子の物語りはまだまだ続きがあります。 映画ではモリーが8歳の妹とともに無事母の元へ帰りついたところで終わっていますが、モリーはその後砂漠の奥地に移り住み、結婚して2人の娘を産み穏やかに暮らしていました。 しかし、1940年11月、モリーと娘達は再び収容所へ移送され、その翌年、モリーは上の娘のドリス(4歳)を残し、1歳半の娘のアナベルを連れて再び逃亡し、なんと9年前と同じルートを辿ってジガロングへと戻ったのでした。さらにその3年後に、アナベルが再び捕まり南部の施設へ送られ、それきり家族はアナベルとは再会していません。 収容所にひとり残されたドリスは母が逃亡したことを知らないまま収容所で暮らしていましたが、やがて隔離同化政策が見なおされ、キリスト教のミッションができ、ドリスはクリスチャンとなり、行政の思惑通り「完全に白人化した人間となった」ことをのちに自らも認めています。 自らの出自を知ったドリスは、アイデンティティを求めてアボリジニの言語や歴史を修得するうちに、叔母にあたるデイジーから母のことを聞き本にしたのが『RABBIT PROOF FENCE』です。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ この映画には、明らかな「悪人」は一人も登場しません。 モリー姉妹たちは逃亡の途中でいろんな人物に出会いますが、アボリジニはもとより白人にしても、皆彼女たちに同情的です。憎まれ役の隔離・同化政策の実権を握る保護局長ネヴィルにしても、隔離・同化政策は社会のためだと確信していたのですし、逃亡したモリー姉妹の追跡も、彼女たちを保護するためという動機が強かった。 つまり、この映画に登場する者たちは、皆、普通の人間たちなのです。普通の人たちが、それぞれの使命、職務、善意にかられながら行動しているのです。それにオーストラリアの自然の優美かつ霊験的な描写や夢幻的な音楽(ピター・ガブリエル担当)が相まって、シーン全体が非常に柔らかい空気につつまれてます。 従来の紋きり型の「糾弾映画」とは、一線を画する内容となっていますね。 オーストラリアでアボリジニに対する過酷な「差別」があったのは事実ですし、現在でも完全に解消されてはいないでしょう。しかし、その「差別」の存在を単に糾弾するだけでは、「差別」は解消しません。勢いのおもむくところ、被差別側は「差別」をより一層残酷かつ非道なものとして描いて糾弾を続けようとしますが、しかし、残念ながら、それでも「差別」は解消することはありません。そうなると、被差別側に到来するのは絶望やニヒルという感覚で、反体制・反社会的に「差別」解消運動をより激化させるか、「差別」解消を諦めるか、二つに一つの選択を迫られることになります(最近は、人権意識の昂揚により、前者が選択されることが多いようですが)。 では「差別」を解消するにはどうしたらよいのか・・・・この点についてはそのうち述べるつもりですが(『オペラ座の怪人』の項でも示唆しておきました)、この映画の作風はこれに関してヒントを提供してくれる内容になっていると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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