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カテゴリ:家族
こんばんわ 先週の仕事をほとんど休んだことから、なかなか波にのれず 昨夜は残業となりましたが、今日はまずまず順調に進み、プチ残で帰宅できました 今日からminko19750923さんばりのカメさん日記で、 父が死亡した11月19日以降の出来事を綴り(父の死を何らかの形で残しておきたいと思い…)、 日記が当日に追い付いた時点で、完全復活して、 皆さんのところへもお邪魔したいと考えています。 それではまずは、11月18日の日記の続きですが、 緩和ケアのある病院での面談を受け1ヶ月程待ちで転院できることを 父も了承した夜の9時過ぎに、 継母から「父の容態が変化し、意識が混濁している。」との連絡がありました 自分とカミさんは既に晩酌中であったため車を運転できず 急遽、近所の弟に連絡して迎えに来てもらい、弟の車で病院に駆け付けました 到着した午後10時には、父の意識は戻っており、 幾分容態は安定してきたため、呼吸器も外しました。 たまたま、その日の当直医が主治医であり、夜中に主治医と面談して、 緩和ケア病棟の面談の結果を伝える一方で、 家族として一定の覚悟するために素直に父の余命を尋ねました。 父の病気(多発性骨髄腫)は発病後の平均寿命が3年といわれており、 父は発病後4年を経過していたため、ある程度の覚悟はしていたつもりですが……… 主治医によると「胃癌や膵臓癌などの場合は余命を推定できるが、 この病気については正直はっきりとしたことは言えない。 2~3ヶ月といったところかでも、もしかしたら半年かもしれないし、 合併症などによっては2~3日ということもある。」という話しであり、 この時は父を緩和ケア病院に移した上で、 安らかに送れると内心は少しほっとした気持ちもありました。 この日は、父の容態も持ち直し、主治医の「今晩は帰っても大丈夫でしょう」との言葉に、 継母や弟たちと共にそれぞれに帰宅しましたが、時計は既に午前1時を回っておりました。 翌11月19日は通常どおりに出勤 上司に、父が長く患っていることや今回の病状を伝え、 今後ちょくちょくと仕事を休むことになるかもしれないことを報告しました 上司は「自分の親の時も似たようなことがあり、仕事は気にせずに休め」と言ってくれたため、 少しホッとすると同時に気持も楽になりました。 その後、携帯電話を自宅に忘れたことに気付き いつもであれば一日位は放っておくのですが、 この日は胸騒ぎがした訳でもないのですが、仕事を抜け出し、 自宅へ携帯電話を取りに帰りました 職場に戻り、念のため継母に電話したのが、午前9時半頃… 「父の容態は昨夜よりも安定している」とのことでした。 しかし、その30分後の午前10時頃だったと思います。 継母から「父の容態が急変し 主治医が家族に来てもらった方が良いと言っている。」との電話があり、 カミさんの勤め先に電話をして、すぐに迎えに来るように伝える一方で、 弟へも連絡を取りました 今日はこの辺で続きはまた明日以降とします お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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