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カテゴリ:家族
今日は休日…カミさんが午前中は仕事だったため、 自分は喪中の葉書を作成するなどして過ごし、 午後から実家の方へ… カミさんに実家の留守番を任せ、継母と二人で親戚宅を挨拶回りをしてきました 継母との四十九日やその後にやらなければならないこと(追々書いていきます)など… いろいろと話しましたが、やっぱり暫くは忙しい日々が続きそうです さて、昨日の日記の続きです 小まめにとったメモを見返していますが、日々記憶が薄れていっております 11月21日(金) 通夜の日です この日も午前6時頃に起床しました 午前中は前日、前々日の忙しさに比べると一段落した感がありましたが、 時々訪れるA葬斎場の担当者や葬儀を手伝っていただくB社の方との打ち合わせなどで アッという間に過ぎました。 継母方の長男家族が札幌から、次男家族がはるばる茨城から訪れ、 (質素な家なので部屋はぎゅうぎゅう詰めでした) 我が家の娘、弟のところの子供を合わせ、 父は目に入れても痛くないほど可愛がっていた7人の孫達に囲まれました 孫らは皆、丁重に手を合わせておりました (この時、一番可愛がっていた年長の我が家の息子はまだおらず…) この日午前中に予定していた湯灌を午後に変更したため、 納官の際に棺に入れる眼鏡や腕時計、三途の川の渡り賃(5円玉)をたくさん用意しました お昼には他の親類も実家に集い 午後1時に納官師が訪れて湯灌が始まりました。 自分は実母や祖母が死んだ際にも家にいたはずなのですが、 何故かこの湯灌の記憶が無く 湯灌を見たのは初めてのような気がします ぬるま湯や新聞紙を用意し、自分は納官師の指示で湯灌の間中リンを鳴らしていましたが モッくんの“おくりびと”とは随分とイメージが違いました 30~40分で湯灌が終わり、午後3時からが納官でした。 継母のリクエストによる立派な棺に、男手に手伝っていただき棺に納めました 午後3時30分、父の遺体を乗せた車がA葬斎場へ向けて出発するや否や、 実家の戸締りをしっかりして、みなが葬斎場へと向かいました 通夜は午後6時からですが、葬斎場へ到着するとお手伝いのB社、町内会、 そして自分の職場の方々も順次集合しているところでした。 お手伝いの方々に何度も「よろしくお願いします。」と丁重に頭を下げました。 会場を見に行くと、立派な祭壇に、父の遺影、そして多くの供花が届いておりました。 (この時、父の生前、確か“地元新聞へ死亡広告を出す際には、 供花・供物は辞退するように…”と言われていたような気もし、 また失敗したかな…と思いました。) 遠方から訪れた親戚の方々へ挨拶などをしていると、 ようやく我が家の息子が到着しました 息子は受験を前に一昨日、昨日も学校を休まず、 この日も模試のため学校へ行っておりました。 息子が父のところを訪れるのは父の死後初めてになります それでも、亡くなる前日に久しぶりに病院で父に会うことができて 本人は良かったと思っているようであり また、一番年長の孫である息子は“父の期待のエース”でしたから、 父もきっと許してくれると思います 親戚やお手伝いの方々が、葬斎場に用意しておいた夕食をとり、 30分前には会場に入りました。 継母(喪主)自分(施主)と妻弟と妻…と座った後の席順に苦労しましたが その後は継母の子供とその奥さんに座ってもらい、そして父の兄妹従兄弟としました その他にも自分を含むカミさんの方の親や兄妹がおりましたが、 一番悩んだのは亡き実母の方の兄弟や親戚であり、 考えてもいられないので以下順次座っていただくことにしました この時に翌日の火葬場へ行く親戚も父の従兄弟までと決め、 失礼する方々には連絡しました 何故か自分一人が通夜の直前もバタバタしており、 呑気な弟にはまたまたイライラを感じておりました… 定刻の午後6時を少し回った頃に通夜が始まりました。 僧侶は先日、住職が話していたとおり3人の伴僧が付きました。 他人の葬儀は僧侶の読経や説法は長く感じるものですが 近過ぎる位の身内の葬儀ですから、流石にアッという間でした。 説法では、自分と弟の名前の由来や子供の頃のことにも触れ、 また親を亡くした住職自身が子供の頃から、父が親代わりでもあったことに触れておりました 読経と説法の最中は後ろを振り返ることは無かったですが、 椅子を足していく音だけは聞こえておりました 僧侶が退場し、葬儀委員長の挨拶の時に継母と自分夫婦、弟夫婦が起立し、 葬儀委員長さんの横に立ちました。 この時、会場一杯…ずっと後ろの方まで人が溢れていたことを知りました でも起立している間は、なるべく見ないようにうつむいておりました 葬儀委員長の挨拶が終わると、スクリーンでメモリアル・ビデオが放映されました このような演出があるとは事前に聞いておらず 葬儀代に含まれているのか定かではありません (葬斎場のサービスの一環と思っていますが…) このビデオに昨日渡した父の思い出の写真が使われており、 大変上手に構成されていました 自分はなるべく映像を直視しないようにしていましたが、 父と懇意の葬斎場の社長さんのナレーションが涙をそそりました 最後は会葬者に祭壇で焼香いただき、 その方々の帰り際に一言、二言お礼を述べながら見送りました。 中には大変懐かしい方もおりましたが、長い話ができないのが残念でした また自分の会社の方々も遠い所を沢山足を運んでいただき 大変ありがとうございましたm(__)m こうして通夜が終わりましたが、まだまだ仕事は終わりません 会場から控室に遺体を移しての通夜振舞いです お手伝いの方々から香典を引き継いだ後は、 親族に酌をしながら自分も軽くビールを頂いた後は、 翌日に紹介する弔電の順番を決めなければなりませんでした ドサッと渡された弔電に頭を抱えましたが 継母の子供達の協力もあり、約半数を紹介することにしました (もちろん全文紹介は5~6通) この作業が終わって床に就いたのは、やはり午前2時頃でした この日は父の死に目に立ち会えなかった継母の次男の方が、 茨城から駆けつけて疲れているにもかかわらず、 線香を寝ずの番で守ってくれました…感謝m(__)m ………今日は告別式まで一気に書き上げるつもりでしたが、やっぱり長くなりました 完全復活へ向けうずうずしておりますが、カメさん日記は未だ続きます 本当の今日や昨日の事でも書きたい事件が次々と起きているのですが……… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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