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カテゴリ:家族
昨夜の強風で2階屋根の軒に付いているTVアンテナが倒れ、 軒からアンテナ線で宙ぶらりんの状態になっていました おかげで昨夜はアンテナが外壁に当たる音がうるさいこと…うるさいこと… いつもお願いしている営繕屋さんに連絡し、今朝見に来てくれましたが、 今日は日曜日で電気屋さんもお休み………修理は明日になる予定です (今も風が吹くと外壁にゴツゴツと当たる音がしています) 実は明日・月曜日は少し遠出する予定があり、カミさんと休暇を取っていたのですが、 アンテナの修理が来る見込みであることから、 今日の午後からその遠出の用事を済ませてきちゃいました そのせいでJCDを生で見ることが出来ず まあ、家にいてもアンテナが駄目なのでTVを視ることは出来ませんでしたが… また、見たところで、結局馬券が外れたのでどうでもいいんですけれども… そのJCDは、○エスポワール、▲シルクメビウス、△ゴールデンチケットと、 いいところを押さえてたのですが、◎をヴァーミリアンにしてしまったために、 いつもの3連単フォーメーションが思いっきりの縦目でした JCDは7歳馬の実績がなく、 「今年の武は乗れてないからなぁ~」と言っていながら、 最後の最後に本命◎にしてしまったのが大失敗でした また来週…落ち着いて頑張ります さて、前置きが長くなりましたが、今日も長く書き続けている“父の日記”です 11月22日(日)…もう2週間も前になるのですが、父の告別式です。 告別式は午前10時、出棺が午前11時半でした。 朝起きたのは午前7時頃だったと思います 朝食を取り、告別式が始まるまで何をしていたのかは良く覚えていませんが、 父の弟妹たちに怒り心頭だったことは覚えています (それは後の方で書くことにして…) 午前8時過ぎにはお手伝いの方々が集まり始め、 A葬斎場の担当に弔電などを引き継ぐ一方で、 B社の方には弔電の読む順序をチェックしてもらいました。 午前10時を少し回った頃に葬儀が始まりました。 会葬者は昨夜より減ったものの、それでも大勢の方が来ておりました。 わが社の役員の方々も遠いい所、足をお運びいただきありがとうございましたm(__)m 僧侶の読経父の会社等の関係者の方お2人からの弔辞弔電焼香 昨夜に続くメモリアル・ビデオ(昨夜のものとはまた少し変わっておりましたが、 「父に先立ち最近亡くなった父の知人○○さんと●●さんと、 あの世で麻雀を楽しんで下さい」という 社長さんのナレーションには再び泣きそうになりました…) ビデオの後は葬儀委員長さんの挨拶で告別式は終わりました その後は近親者で父と最後のお別れです 継母が選んだゴージャスなお棺は、ふたに釘を打つタイプではなかったため、 一人ずつ釘打ちすることは無く、父に一人ずつ花を添えながら最後のお別れをしました A葬斎場の玄関に待つ会葬者に頭を下げながら、火葬場へ向けて出発しました 継母と自分が父の遺体が乗せられたリムジンの霊柩車に同乗し、 その他の子供と孫たち、父の弟妹、従兄弟、 そして葬儀のお手伝いの方が若干名が貸切バスで移動しました。 約15分程で火葬場に到着…本格的な冬の到来を控えたこの時期は亡くなる方が多いのか 火葬場は結構と込み合っておりました 火葬場の僧侶の短い読経の後、父はかまどに入れられました 遺体が焼きあがるまでは約1時間半とのことで、自分は用意された昼食もあまり喉を通らず タバコを吸ったりして時間をつぶしておりましたが、 1時間半はあっという間に感じました。 父は病気は骨ももろくなる病気であり、その長い闘病生活のためか、 遺体はしっかりと焼けあがり、大きな骨は残されていませんでした 係の人の指示で継母と子供たちで喉仏を拾った後に、 2人ペアになって足から頭のほうへと骨を拾い上げました 一緒に焼いた三途の河の渡り銭(5円玉)を皆で分け、 自分と継母が骨箱を持ち、帰りは貸切バス一台で火葬場を後にしました。 それにしても上で書いた父の弟妹たちには怒り心頭のことですが、 本当に呆れるやら、腹が立つやら…葬儀に来てくれない方がよっぽど楽でした やっぱり頼りになるのは遠くの親戚よりは近くの他人です この怒りを忘れないためにちょっと愚痴も記しておきます まず父の亡き弟の奥さんであるK叔母さん…親戚の中では気さくで気の合う方ですが、 叔母さんの姪っこさんと東京から通夜の日に駆け付けてくれうれしかったです。 でも2泊3日でとったホテルをこの日の朝になって 「やっぱり1泊で帰る」とキャンセルし (バタバタしていた時に弟にキャンセルしてもらいました) キャンセル料は掛からなくて良かったのですが、 今朝ホテルから来る時にカードキーを返さずに火葬場まで持っていったために、 A葬斎場の方が火葬場まで駆け付けて返してもらいました。 まったく疲れている時にさらに疲れが増しました 続いて横浜からお越しの父の妹・M叔母夫婦 M叔母さんも体が弱いのに葬儀に来ると聞いた時から、嫌な予感がしていました。 忙しい中、ホテルの手配(こちらも2泊3日)をこちらに任せたのはまだいいのですが、 1泊した今朝に「サービスの悪い大したことの無いホテルだ。」とそのホテルに言うのはまだしも、 疲れている自分にまで言うとは… 地元に昨年オープンした一番新しいホテルを取ったのですが… しかもこの叔母夫婦も今日は従兄弟の家に泊まるとやっぱりホテルをキャンセル… 叔母は若かりし頃、父に沢山の苦労と迷惑をかけたと…亡き実母や継母から聞かされていますよ 自分は叔母さんの葬儀には正直言って行きたくありません (ホテルの文句を言いそうで…) 最後に父の末妹のE叔母さん 近くに住んでいることから父の死に目にも会え、葬儀の前日なども実家に来てくれましたが 大して来客の対応をしてくれる訳でもなく 自分が書いた父の経歴の書類を父の書斎で断りも無く盗み見してましたね (見られて困るようなことは書いていませんが…)、 叔母さんは一番下の娘で祖父が死んだ父が13歳の時は、まだ1歳前後 …父はあなたを背負い親代わりになってあなたを育てました。 就職、結婚、あなたのお子さん(自分の従兄弟)の出産や養育、 果てはお子さんの就職、結婚………数え上げればキリがないほど父の世話になりましたね。 それなのに上のお子さんは孫のピアノの発表会で告別式に参列せず 本州の下のお子さんは見えられないのは仕様がないとしても、 その弔電を読むように言ってきたり(名前しか読みませんでした)、 通夜の夜には香典返しをまだもらっていないと自分に言ってきたり(自分でもらいに行けっつうの) 何より一番呆れたのは大した香典も包んでいないのに(別にいいんですが…)、 継母に「お兄さんのため立派な祭壇にしてあげてください」と言いましたね (言われなくても、赤字が出ても立派にします) 近くに住んでいるだけに一番親近感がありましたが、 父が亡き今…今後の付き合いは慎重にさせていただきます ………大変長く愚痴っちゃいました…すみませんm(__)m 今日も長くなり、字数がオーバーしてしまいました この続きはまた明日書きます 明日は最初に書いたようにアンテナ修理のため仕事を休みますので お昼にでも一気に“父の日記”完結したいところです(~ヘ~;)ウーン お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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