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カテゴリ:国内小説感想
心の琴線が太くなったのか。期待して読まなかったからか。思わぬところで良いものに巡り会うことが近頃多い。日野啓三といえば、彼の死に乗じて作品に興味を示し、ある程度好きになれるものもあったが、余程読むものがない時に触れる程度、という感覚だったのに。この短編集は「ある程度」抜きで好きになれた。
タイトルはいただけないが『孤独なネコは黒い雪の夢をみる』。古屋敷を守り続けて来た父が病に倒れる。父の夢の中で降る雪が現実に作用し、荒れるに任せている屋敷を隠す。それは父親を看取るため帰郷してきた息子を屋敷に住み着かせたいからでもある、という発想が素晴らしい。その息子も分裂した幾つもの自分と対峙している。代々一匹だけが棲みつくという猫もいい。 ああ、雪の夢もみた。うんと降った。 それは夢じゃないよ。いまも降ってる。 いや、夢だよ。 強い口調でそう言った。両目とも開いていた。白目の部分は濁っているが、眸には力があった。思わず視線をそらしながら言った。 ほら窓の外に降ってる。ちゃんと見えるよ。 夢だってちゃんと見える。 窓から手を出せばさわることもできる。 夢の中でもいろんなものにさわっとる。 おまえが帰ってくる夢もみる。 それなら確かに帰ってきたよ。 わしの言うのは、ここに住むために帰ってくるという意味だ。 いったん言葉を切ってから、父はじっと私を見つめた。 おまえが何だかぼやけてズレて見える。誰か一緒なのか。 ・・・・・・。 雪がいっそう激しくなり、窓のsぐう外で狂おしく渦巻いている。 『孤独なネコは黒い雪の夢をみる』より 「人ごみの中に紛れて僕は子供のような夢を見る」と延々と繰り返す歌があったな、そういえば。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』はいまだ読もうと思ったことがない。「夢だってちゃんと見える」と言い返す死が近い父親が愛らしい。 ネコの目の位置から見上げると、黒板の天井はひどく遠く、庭の木々も高く、屋敷は床下、天井裏、納屋の二階、古い様々な農具と家具、竹やぶの中まで掘り抜かれている秘密の地下の穴、水の枯れた泉水、幾つもの離れ座敷への渡り廊下、深い木立と竹やぶ、乱立する庭石と石像、クモの巣とコオロギの死骸と脱皮したヘビの皮が、入り組み重なり合い、カビと腐食の臭気がよどむ荒れ果てた巨大な迷路だった。 『孤独なネコは黒い雪の夢をみる』より 父が守り続けてきたものは妖しいネコくらいにしか棲みつかれそうにない、不気味に荒廃したガラクタだった。この父・屋敷・息子・ネコの関係が何故かあまり特殊なものと思えず、身近な、自身の周りにありそうな関係に思えてくる。今は人は住まず、時々誰かが掃除に行くだけになった私の祖父母(ともに故人)の家に、一度ネズミが出てきたことがあるそうだけど。 一篇にしか触れなかったが、『石の花』『砂の街』もこれまで読んできた日野啓三の短編ではトップクラスの・・・いや、作者が病を得た後とでは作品の質が別のものになっているか。 気障ったらしいいつもの文体は好きではないのに。なのに、大好きな短篇がある、この本には。 中公文庫 1987年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/12/03 02:12:21 AM
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