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カテゴリ:国内小説感想
何度も途中で放り出しそうになりながらも一応読み終える。
セシルの左胸には僕の日本刀が刺さったままだ。それはセシルの心臓を貫いている。でも刺さり所が良かったらしくてセシルの心臓は今でも異常なく動いているし、ほとんど出血もない。日本刀が刺さったことなんてセシルの心臓には簡単に無視できてしまったみたいだった。でも刀はセシルの心臓を確かに通過してセシルの背中を突き破って出てきたのだ。たぶん風船に針を通すのと同じような絶妙さがそこで起こったのだろう。今はセシルの体内に残っている分の刃を残し、柄と切っ先は切り落としてある。セシルがシャツを脱げば左胸の上に僕のつけた×マークと、その中央に僕が刺し込んだまま抜いていない刃の切断面が見えるはずだ。胸の中の刃が少し動けばきっとセシルは大量出血を起こして死ぬに違いない。セシルに無理はさせられない。面倒なときに面倒な場所で死なれたら困る。 こんな文章がたまに挟まるんだからまともに付き合う必要なんてない。 『第一話』『第二話』『第三話』ときて『第五話』『第四話』『第七話』『第六話』と続く。そもそも、一話一話が「清涼院流水」と名乗る人物から送られてくる、九十九十九という人物を主人公にした物語という設定なのだ。それを読むのも九十九十九、そして九十九十九自体がかつて清涼院流水が書いた小説の中の登場人物という、やりすぎのメタ・フィクション。途中でどの九十九十九が何だろうがどうでもよくなってきて結末や作者の意図なんて蹴り飛ばしたくなる。清涼院流水の本を読んだことはないけれど、「読み終えた途端本を投げ捨てられることが多い作家」というのは聞いたことがある。清涼院流水=舞城王太郎とまでは思わないが、誰かの覆面ではないかという疑いは出てきた。福井県西焼と東京の調布にこだわり続けるのも、むしろそこに注意を引き付けてておくためのトリックとも思えてくる。 一話ごとに名前の違う恋人および弟への愛情は相変わらず素直で微笑ましいけれど、それ以外のめんどくさい要素が多すぎる。疲れる。純文系雑誌に移ってからの方がいい。 講談社ノベルス 2003年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/01/24 01:54:47 AM
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