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カテゴリ:俳句関連の本の感想
撰者が誰か表記されていないあたりに、この出版社の倒産した理由を見出せる気もする。
いつまでも、「三月の甘納豆のうふふふふ」の俳人としか知らないのも無責任な気がして。 自由奔放というか、上5中7下5をわけてバラバラに書いておいた紙を切って貼って合わせたようなというか、季語だけ使って後は適当に、というか、そんな作風。たとえば「紅梅の咲くごと散るごと母縮む」という句があり、ああこれはつまり、綺麗な紅梅の毎年咲いては散る様にも、年月の経過が含まれており、その度に老いた母は段々と縮まっていってしまうのだ、なんて感傷的な鑑賞をしていたら、しばらくして(発表間隔は10年近くあるけれど)「せりなずなごぎょうはこべら母縮む」「ほとけのざすずなすずしろ父ちびる」なんて句にぶち当たり、さっきの何かを返してくれ、と叫びたくなる。「ゆびきりの指が落ちてる春の空」や「びわは水人間も水びわ食べる」にはどうにかついていくことが出来ても、「ぽかぽかの十二月にて奴死んだ」「殺人があったぱかぱかチューリップ」などに至っては、もう謝る他はない。作者の偏愛している河馬の句には、あまりいいものはない。 ややこしいこと考えず、好きな句あげて終わる。 蝶までの距離と言うべし春の泥 明け方の夢なめている春の蠅 春眠を発酵させているよ象 枯野では捕鯨の真似をしろよ、なあ びわ熟れて釘とか父とかぼろぼろに みんなみんなちんちん軽く秋の橋 芸林21世紀文庫 2003年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
うっ。昨日の日記のレス2を書き込む前に今日の日記を読むべきでした。(汗)
(2005/05/28 08:06:51 AM)
「上5中7下5をわけてバラバラに書いておいた紙を切って貼って合わせたようなというか、季語だけ使って後は適当に、というか、そんな作風。」
このご指摘はその通りだと思う。でも、俳句って本来そんなものでしょう。芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」だって、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」も、草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」も厳密にはバラバラ。俳句はそういう構成で成り立っているものが多いんですよね。ケンカ売る訳ではありmせんよ。「納得!」と思って書き込みしました。 (2005/05/29 07:59:25 PM)
>matsutaka1214さん
やや乱暴な書き方だったせいか誤解を招いたような・・・というか、よく考えたら真っ当な反論もきちんとは出来ないし、別にいいです。 (2005/05/30 01:03:45 AM)
少し生意気なコメントですみませんでした。
坪内稔典の周辺(彼と作句の立場は異なりますが) にいて、気になりましたので・・。 失礼しました。 加えてご訪問ありがとうございました。 あのページはスポーツページになりつつありまして もうひとつブログを立ち上げました。 よろしければ覗いてください。 最近、短歌に凝っています。 http://spaces.msn.com/members/matsugumi (2005/05/30 08:44:23 AM)
>matsutaka1214さん
私は短歌は苦手なんですよね。「長すぎる」「自由過ぎる」そして性質上、愛やら恋やらを歌うことが多いあたり。ぶっきらぼうな俳句の方が性に合ってるというか。 そんなことを思いながら拝見したmatsutakaさんの歌、予想以上の出来でした。題詠100題、多彩な原風景を持っていることを羨ましく感じました。真似してやりたくなりましたが、私にはそういったものが乏しいので、創作に走り、俳句と同じ行き詰まりに突き当たるのは目に見えているので、今は考えるだけです。 ただ、matsutakaさんの歌で、時折、音、リズムに関して、勿体なく感じるところがありました。たとえば 「砂糖黍チャンバラ遊びの剣にする悪役はちょっと長目に」 「あっけなく引率の先生溺死する真空な夏が連れてきた異変」 など、リズムに改良の余地ある歌だと思います。惜しいです。 こちらこそ生意気な意見になってすいません。 (2005/05/31 01:34:39 AM) |
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