3623160 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

小春日和の朝

小春日和の朝

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

日記/記事の投稿

バックナンバー

2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

BOK「サマーコンサー… さとヌーさん

【お知らせ】ブログ… 楽天ブログスタッフさん

佐賀 長崎旅行 アカネちゃん0565さん

本音で語ろう!お取… ヴィーナスひろりんさん
日々の日常一押し生活 お茶マスタさん
*~ミルクの無添加… ミルクパン工房さん
ようこそ!「雲の上… ☆サニーさん

ニューストピックス

2012.10.15
XML
カテゴリ:日記

今から50年ほど前の出来事です。

秋の夜長になるこの頃になると、毎年、

母の「​今からこうぎんへ行ってくる​」という言葉をなぜか思い出すのです。

こうぎんは多分、講銀と書くのではないかと思うのですが、

近所の奥さんたち10人くらいが集まり、毎月、数千円のお金を拠出して

まとまったお金を受取りたい月を申し出て、その月に受け取るというシステムでは
なかったかと思います。

座元は10軒の家で持ち回る(講銀参加者が10人の場合)ことになっており、

お菓子とお茶を出します。

(ひょっとしたらお菓子代は掛け金から出ていたかも知れません)



講銀はまとまったお金を手にするということだけが目的ではなく、

両親、義父母、夫、子供たちのこと、地域のこと、日常の出来事のことなどの

情報交換の場、また、時には悩みや愚痴を聞いて貰えるという

奥さんたちの大切な社交場でもあったようです。

母達の講銀はいつの頃から始まり、いつ最後を迎えたのかわかりませんが、

​今から、こうぎんへ行ってくる​」と言って出かける母の顔はどこか嬉しそうで、

その声も弾んでいたことを記憶しています。

昨年、亡くなった母、生きているときに「こうぎん」があの時代に果たしていた

役割というものは何だったのか訊いておけばよかったなと、今、​悔やんでいます。


​​※​​「こうぎん」は講銀と思っていましたが「講金」が正しいようです。​​

​​​​​​​​​​






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.03.26 06:13:54
[日記] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.