テーマ:フランス文学(162)
カテゴリ:文学
IFJTにて、R.先生の講義。第3回。
このところ、勤務先の仕事はそれほど忙しくないのに、ゆっくり本を読んでいられない。 理由は、わかっている。楽天ブログやらmixiなど、PCを用いたネットワーク・コミュニケーションに費やす時間が多くなってきているからだ。 私はもともと、文章を書くのが嫌いではない。だから、自分で記事を書いたり、他人が書いたものにコメントを入れたりするのに、ついつい夢中になってしまうことがある。そんなことをしているうちに、2時間や3時間はすぐに過ぎてしまう。こんなことだから、本を読む時間がなくなる。 最近、ある興味深い話を読んだ。何で読んだのか忘れたが、このところ文字を読むといったらPC上ばかりなので、おそらくYahooか何かのニュースだったに違いない。 「朝起きて我慢しなければならないとしたら、コーヒーとインターネット、どちらですか?」多かった答えは、コーヒー。つまり、インターネットの方がコーヒーより中毒性が高い、というわけである。 ううむ、確かに。私が毎朝一番最初にやることは、PCの電源を入れることである。このブログを始めとして、コメントやメッセージが入っていないかチェックするのは、欠かせない行動である。 では、朝起きてすぐに本を読みたいか?そんな気には、絶対ならない。 …これでは本を読む時間がなくなるのも、当たり前だ。 長い前置きになったが、何を言いたいのか? 予習ができないため講義にも集中できず、ブログにもいいことが書けない、ではその元凶は?よく考えてみると、実はそのブログ自体だった、という皮肉な話… この日の講義、全体的に集中できなかった。頭の中は、このことでいっぱいだったから。窓の外の雪が気になる。こんなにザンザン降ったら、夕方にはどうなるやら。心配で心配で仕方がない。 そんな中で、印象に残った話がひとつ。 代訴人デルヴィルが、依頼人のシャベール大佐を訪ねる場面。代訴人が目指すのは、パリ郊外フォーブール・サン=マルソーのプチ・バンキエ街にある牛乳商ヴィルニオーの家である。 デルヴィルは、その近くまで来ると歩いて 依頼人をたずねて行かなければならなかっ た。馭者が舗装されていない道に入るのは いやだというし、二輪馬車の車輪には轍の 跡が少々深すぎたからである。あたりを見 回して代訴人は、この街路が大通りに隣接 するあたりで、人骨を土でつないだ二つの 土塀のあいだに、柔らかい切石の粗末な二 本の門柱を見つけた。 (川口・石井訳『シャベール大佐』P.64) 人骨を土でつないだ二つの土塀。なにやら物騒である。R.先生によれば、これはパリの歴史の産物とのこと。 時は18世紀後半。たくさんの人々の亡骸が葬られ蓄積されたパリの墓地は飽和状態となり、伝染病の温床となった。そこで、1785年11月9日の法令にはその廃止と移設がうたわれた。 墓地の廃止と移設。そこから出てくるものといえば、骨である。都市部では、石などの資材は入手しづらく、ザクザク出てくる骨を使う方が合理的… 建築・建設関連の専門用語だと思うが、セメントに混ぜる砂利のことを「骨材」と呼ぶ。人骨の骨材。まったく頭がクラクラする話である。 ちなみに、この移設の際に綺麗に整理されたものが、カタコンブとして残っている、とのこと。 合掌。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.01.25 22:39:14
[文学] カテゴリの最新記事
|
|