テーマ:フランス文学(162)
カテゴリ:文学
IFJTにて、R.先生の講義、第4回(*1~2)。
a.m.7:00前に、NHKラジオ第1放送を聴いていた。「今日は何の日」という小コーナーで、2点面白いことが伝えられていた。 1889年=パリ万国博覧会が開幕となり、エッフェル塔が一般公開となる。 1994年=英仏海峡トンネル(ユーロトンネル)の開通式が行われる。 ゴールデン・ウィーク中のIFJTへ行くこの日に、なんともふさわしい(?)ではないか… 約3週間来ない(*1~2)うちに学院内の木々の葉はずいぶん茂っており、夏が近づいたなと思いつつ教室へ向かう。 9:30になり、講義が始まる。 いつも通り、前回までの講義に関する質問などから。 …何も、わからない。サッパリ理解できない上に、前回休んでしまったから、当たり前である。 完全に諦めて、この日に読み進める予定の部分を、Les Editions de Mimuitの版で読もうとする。いや、読んでいるフリをしている、と言ったほうが正確だろうか。顔は本を向いているが、目はどこも見ていない。 そんなことをしているうちに、ついに居眠り。ハッと気付くと、16個の石と4ヶ所のポケットの話になっていた。 私はこの滞在を利用して、おしゃぶり用の石を補給した。 それは本当は砂利だったが、私は石と呼んでおく。そう、 あるときはたっぷり仕込んだ。それを、四つのポケット に公平に分けて、かわるがわるしゃぶった。こいつはな かなか問題だったが、最初は次のような解決策をとった。 石が十六あったとしておこう。つまり四個づつ、四つの ポケットにはいっていた。ズボンのポケットが二つと、 オーバーのポケットが二つだ。まず、オーバーの右のポ ケットから石を一つ取り出して、口のなかへ入れる。 (安堂信也訳『モロイ』白水社 p.101) 突然、何の脈絡もなく現れる、おしゃぶり用の石とポケット。ナゾである。 しかもそれが、16個の石を4ヶ所のポケットと口に循環させそれぞれ1個づつを確実にしゃぶるローテーションを作るにはどうしたら良いか?という話になる。数ページにわたって、ああでもない・こうでもないという記述が続く。 R.先生は、教室のホワイト・ボードに16個の石・4ヶ所のポケット・口のイラストを簡単に描き、解説をする。…1つのポケットに入る石を、5個にしたり6個にしたり、そんな操作をあれこれする。それぞれ1個ずつの石を確実にしゃぶれる方法が、いくつか考えられるだろう。しかし、それでは4ヶ所のポケットのバランスが悪いではないか…。そう、ここに書かれているのは、実用性(efficacité)と美(beauté)の相克である、とR.先生は言った… むむむ。実に難しい。 だが、この部分に私は親しみを感じた。これは、《漱石》ではないか?そんなことを考え始めたら、妙に面白く見えてきたのだ。 「漱石枕流」=負け惜しみ・こじつけ。ベケットはもしかすると、そんな意味もここで表現しようとしていたのかも、などと勝手な想像をめぐらすと、眠気もサッと覚めたのである。 おや?私のこの想像自体が、負け惜しみ・こじつけのようだが?まあ、良しとしよう…どうせ何もわからないのだから、少しでも面白く考えた方が得だ! それにしても、ベケットの文章は難解だ。4月6日の日記にも書いたように、なんとなくわかりそうな単語が多いように見えながら、半ページくらい通して読むと意味が全然わからなくなる。 R.先生が、「ベケットは、語彙は全然多くないのだが、突然ほとんど知られていないような単語が出てくる」という意味のことを話していた。 それでちょっとホッとした。やはり仏語を母国語とする人でさえ、ベケットは読みづらいところがあるものなのだ。 (*1)4月15日の第2回は出席。しかし日記の記載は休業。 (*2)4月22日の第3回は講義を欠席(4月29日は祝日のためIFJTが閉館)。 …申し訳ありませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.05.08 08:54:40
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