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カテゴリ:日常
知恵袋で、こんな相談を目にしました。
私は20歳の時に結婚せずに子供を産みました。 友達は当時大学生でしたが3人ともお祝いを1万円くれました。 友達だから必要ないかと思ってお返しはしていません。 その事について誰も何も言いませんでした。 この3人とは別の友達が先月出産したので1万円あげました。 今日この3人とお茶してる時に先月出産した友達から一斉にメールが届いて、「しばらくバタバタして内祝い遅れてごめんね、赤ちゃんの世話で大変だから郵送する」という内容でした。 私が「大変なのはわかってるし、友達だから内祝いとか気にしなくていいのにねぇ~」と言ったら3人から「お前が言うな」と言われてしまいました。 私達も大変なのはわかってるし別に内祝いがなかったからって嫌いになるわけじゃないけど、私達に内祝いしてないあなたが言うのは失礼!非常識!だと言うのです。 確かに私はお返ししてないけど、友達だからいらないと思ってるんならそれでいいと思うんですけど、何で今更責められるのかわかりません。 ” で、返答はすべて 「友達は正しい、あなたが非常識」 でした。 ちょっとひざが震えましたね(笑)。 日本にいなくて、子供もいなくて良かった。 私はこういう事が(極端な例だけど)苦手で日本を出たのだと思えるくらいです。 私もこの質問者と全く同じ事してた、言ってたと思う。 で、何の関係もないけど内祝いとはなんぞや?と調べてみたら、出産祝いにはお返しをする、という事でした。そうだよなー、日本は子供の誕生日だろうがお歳暮だろうがお香典だろうがお返しするもんな。 しかももっとひざが震えた事に、内祝いでむかついた事アンケートランキングがあって、一位はあげた額以上のお返しをもらったこと、(2位はメッセージ状が無かった事)、そして三位はお返しがあげた額の三分の一以下だった事。 細かーい!! じゃ一万円もらったら3333円以上一万円以下の贈り物を返さねばいけないのですね。 もし私が出産、子育てしてたら 「面倒くさい!5千円くれ!それでチャラにしてくれ!」 って思うよ。 んで、お返しとはいったいどんなもんかいのーと思って見たらタオルだのカップだの。 んでそれが”ほんの気持ち”って言うんでしょ? エコエコっていうけど、その日本特有の”ほんの気持ち”がどんだけゴミを増やしてるのか。 モノがあふれているこの時代に、おそらく趣味に合わないであろう品々はもらっても迷惑だろうし、一生で一番多忙であろう時期にそんな事で頭を悩ませてしまっても申し訳ない。そんなしきたりこそが非常識だと思ってしまうのです。 そうえいば昔、公園のフリマに不用品を売りに行ってた時、うちの押し入れの天袋に引き出物だのお見舞いだの、きれいに包装された新品の”ゴミ”を見つけてはお小遣い稼いだなあ。 しきたりと言ってしまえばそれまでだけど、最後に高笑いするのは子供の時の私とギフトカタログの会社くらいですよ。大人なんだから、はい、お祝い。見返りなんかいらないから、でOKだと私は思ってしまう。もらう人も、もらいっぱなしが気になるくらいの間柄の人なら、儀式的に物をすぐ返すより、次に旅行に行ったときにお土産買ってくるとか、落ち着いたらケーキもって子供と遊びに行くとかの方が心がこもってると思うな。 前置きが長くなりましたが、なんでこの知恵袋の質問が引っ掛かったかっていう話。 ブライアンの怪我中、ことわり無しに寄付パーティーおよびフェースブックでの寄付金を募る準備をした人達がいまして。もちろんお金は全部治療費にくれる事になっていたそうですが、無断ではありえませんよね。私、珍しく外部の人に怒っちゃったんです。 まず私たちはお金に困ってるなんて(いや困ってるんだけど 笑)誰にも言ってないし、まあ病院代がかかるとわかっててもまず本人に聞きますよね。ゴミを漁ってるホームレスにだって黙ってお金をあげる前に、あげていい?って聞きますよ。プライドでもらいたくない人かもしれないし。いやね、ブライアンが良くなったら自分達でなにかしらウェルカム・バックパーティー的な事をして、そこで寄付を募ったりしてもいいなとは思っていました。だから同じケガで2回寄付集めパーティーはさすがにがめついと思うし、周りの人は一回目は私達は関与してないなんて知らないですからね。2回やんのかい!ってなりますよ。 しかしそれにも増して。 電話で友達数人が寄付の企画をしてると聞いて私がブチ切れてしまったのはなぜかと考えていたのですが、根本はこの日本人の贈答マナーが私にさえ染みついてるからだという結論に至りました。私が関与しないところで、誰がどのくらいの額を寄付してくれたか知る由もない。そーんな恐ろしい事、考えただけでも吐きそうです。あー、これを読んでくれてる方々にわかってもらえるかな~、この感覚。 その気の強い友人の言い分は 「これはみんなの寄付だからそんな事は気にしなくていいの」 と言うのですが、日本人としては 「たとえばあんまり上手くない初心者の人が$100の寄付を無名でしてくれたとして、後々『あの時助けてやったのに俺をゲストに呼んでもくれない』なんていう陰口を叩かれたり、政治議論になってヒートアップしてる時に『あの時寄付してやったのに俺の意見を無下にしやがって』みたいな、その寄付を盾に対等だったつきあいが崩れてしまうような事があったらまたぶち切れてしまう、面倒くさい、営業妨害になりかねない。」とそこまでワンセットで考えてしまう。私だけですか?? 誰がどれだけ寄付してくれたのかは知る必要があると思うのです。できればあんまり親しくない人からの寄付は遠慮したいし、まあ変な人でも拒めない場合はすぐに相応のお返しをして、とにかく借りを作りたくない。←これです。この気持ちがある限りアメリカ人には感化しきれない。アメリカにサラ金が無いのは、怖い取り立て云々ではなく借りたら返すというコンセプトが薄いからだという記事を目にした事があります。明るく陽気なわけですよね(笑)。私達はくそ真面目に目に見えない、金額にできない貸し借りにさえ頭を悩ませたり苦労してるわけです。 日本人の”気持ち”のお返しだって、本当に気持ちだなんて思ってないよね。「もらいっぱなし」だなんて陰口たたかれたりしないように、常識が無いなんて言われないように、「これでいいよね!」っていう、口止め的な儀式じゃないですか?お返しが高額だったっていうのはそんだけ「どうかうちがご祝儀泥棒だなんて言いふらさないでください」という恐怖が大きいって事だと思うのです。おそらくそれなりに穢されてはならない高い地位の人達だとおもいますが。 でも贈り物やご祝儀はなんとなくわかるけど、お礼品の文化ってちょっと日本ぽくないと思いませんか?日本こそ差し上げた気持ちを返してくるのは無礼とか、贈り物に見返りを期待するのは卑しいとかいう儒教か武士文化がありそうなものだけど。 アメリカ人が内祝いとか香典返しの決まりが無いのって、もしかしたらしょっちゅうプレゼント交換しあっているからかもしれませんね。寄付も自分がもらったら、ペイ・イット・フォワードとか言って(嫌いな言葉なんですが)、もらった人にお返しするより次に出会った必要な人に寄付して、好意が世の中を巡るといいですねっていうコンセプトがあります。誕生日もプレゼントくれなくていいですから、私が推薦するチャリティに寄付をお願いしますっていう呼びかけもよく見ます。合理的ですよね。 日本の常識もアメリカの常識も習得しきれていない非常識な私の膝は今日も震えるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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