辛坊治郎番組に浅田次郎出演
辛坊治郎さんの講演のポスターがあった。紀南地方の辛坊治郎講演は9月だった。辛坊治郎さん退職ニュースもあった。「たかじんのそこまで言って委員会」の辛坊治郎さんである。その辛坊治郎さん司会の朝の番組に、作家の浅田次郎さんが出演していた。「終らざる夏」で注目の作家は、居心地の悪そうな顔であった。小説は読者の判断を優先する。読んで初めて評価もできる。テレビ出演で宣伝などしたくない。作家の顔からそんな言葉感じられた。そんな印象の浅田次郎さんは、戦争と言う大きなテーマの中の個人を描いたという。そして、作家が強調したのは、小説はフィクションだと言うことだと思った。ドキュメンタリーでもなく、ノンフィクションでもなく、小説はあらゆる要素を練り上げて作る、作家の想像力で紡ぐ物語だということだった。その要素としての事実があると強調する。ある事件を題材にして小説を書く場合、詳細な調査をしても細部と明らかにしても、細部や細かい数字拘ることはない。 辛坊治郎さんは上巻だけ呼んだという。下巻も読まないのは、番組でぺらぺら喋りそうだからだたと言う。そして、様々な角度から、浅田次郎さんの最新作「終らざる夏」が紹介される。日本の8月は戦争を振り返る月でもある。広島長崎の原爆記念日に終戦記念日。その物語は終戦記念日の天皇の玉音放送が大きな要素である。ごく音放送は事実上の戦争終結を意味するが、終ったはずの戦争が実は終っていなかった。終ったはずの日本の戦争の中で、終ってなかった戦争の物語だ。日ソ不可侵条約無視のソ連軍侵攻後の旧満州戦線でも、南方戦線でも、沖縄戦線でも、グアムなど太平洋の島々でも、戦争が終ったのを知らずに、いや、敗戦を信じないで、抵抗し逃げ回った兵隊はいたが、軍隊が向き合う正式な戦争はカムチャッカ半島近くの占守島だけであった。歴史の襞の中に封じ込められた戦争だった。封じ込められた襞を浅田次郎が開けた。ポツダム宣言受諾後、玉音放送後に、戦争は続けられていた。そんな信じられない歴史の襞が開いた。 1945年8月15日は暑く長い日だった。神の国、神の軍隊を信じ、天皇の赤子であった日本国民が、普通の国の普通の国民になった日であった。国家的呪縛から解放され途方にくれる日本国民。しかし、もう一つの戦争があった。玉音放送の3日後に召集令状が届いた。日ソ不可侵条約無視のソ連軍の侵攻は、大きな歴史的な意味を持ち、広島島長崎の原爆投下にも関係すると思われるが、その戦争は、原爆投下後のポツダム宣言受諾後の、天皇の玉音放送後の、カムチャッカ半島に最も近い小さな島での対ソ連戦争であった。島の名前は「占守島」。カムチャッカ半島と幌筵島の間にある小さな島だ。カムチャッカ半島まで12km前後の、千島列島最北端の島で、戦争でありながら、戦争と認められない戦争があった。その戦争を戦う個人の物語が浅田次郎の「終らざる夏」である。 小説の宣伝でもない。辛坊さんの9月の講演ポスターを見たから気になって朝のテレビを見ていたら、浅田次郎さんが出演していた。番組では映画「キャタピラー」の寺島しのぶの紹介もあった。戦争のことを考える8月、広島の原爆記念日は新しい核廃絶へ国際的うねりの重要な分岐点であった。長崎の原爆勤日もそのうねりを高めるだろう。そして、終戦記念日だ。玉音放送で全ての国民の終戦は始まる。くどく書き続けると、終戦の始まりが戦争の始まりの物語「終らざる夏」で、軍神に祭り上げられた厄介者の夫と妻の無責任な社会との戦いが寺島しのぶ映画「キャタピラー」だと思う。「