カテゴリ:フリーランスライター
女性セブン編集部で編集長に会った。
「今、企画が上がっていて進行前のものが3つあるんだけれど…」 その3つの企画のうち、どれか一つのアポイントメントから記事までができたら、 その後も記事を書かせてくれるという。 あとの2つは忘れたが、 1つは「野口五郎を、熟年女性が寄ってたかって、からかっちゃった」 というような座談会企画。 なんとなく、できそうな気がした。 そこで野口さんの所属事務所に電話をしてみた。 まさかの、即OK。 野口さんはすでに新御三家としてトップスターの位置にいらしたが、 少年から大人への脱皮を、事務所としては考えていた時期だったらしい。 次は熟年女性の人選。 私が選んだのは、カルーセル麻紀さん、十勝花子さん、一谷伸江さん。 どの方も企画の趣旨を完全に理解してくださり、 始終、賑やか、且つ笑いが止まらない、とても楽しい座談会となった。 初めて書く原稿は、座談会だったため、悩むことなくできた。 編集部で書いていると、編集長は心配だったらしく、 何度も「大丈夫? 書ける?」と覗きにいらしたが(o^―^o)ニコ ここから私の女性セブンでの記者生活が始まった。 2回目の仕事は、某有名俳優と女優の密会記事。 初めて張り込みというのを経験したが、 「原稿はデータでね」の意味が解らないほど私は素人だった。 何人もの記者が多方面から取材をした場合、 それをまとめる「アンカー」というライターがいる。 アンカーに渡す取材原稿が、データ原稿。 「データの原稿料は原稿用紙1枚で幾ら、って決まるから、 なるべくたくさん書くといいよ」と担当デスク。 「リアリティを出すために、張り込んだパブの内装やら、雰囲気も書くべし」 …私は素直に従った。 ただゴシップ記事は、その1回で、もうやりたくないと思った。 後味が良くない…。 自身で責任が取れないデータ原稿での参加も、生意気だけれどやりたくなかった。 フリーランスで生きていく以上、何よりも信用が大事なはずだ。 取材する相手のプライバシーも守っての記事を書きたい。 この週刊誌だけで食べていくのではなく、他も当たらなきゃ。 そう思い、新人ライターの登竜門的存在である学年誌にも売り込みに行った。 旺文社の小学〇年生などの学年誌である。 そこでは毎月のレギュラーを貰えることができ、 他にも色々な雑誌の編集部に、片っ端から売り込みに行った。 もっと、もっと、仕事がしたい。書きたい…。 小学館では「女性セブン」の他に「プチセブン」からも声がかかった。 主婦と生活社の「主婦と生活」本誌や「JUNON」でもレギュラーを掴んだ。 後に料理研究家となった女性編集者に声を掛けられ、料理ムックにも参加できた。 その中でも特に思い出深いのは、 「アングル」という情報誌で四谷のバーボンバーを取材していた時のこと。 グラスを傾けていた客の男性に声をかけられた。 「君、フリーランス? 楽しそうに取材しているね」 講談社の「月刊ミミ」という 少女漫画と芸能人グラビアや情報、実用記事を扱った少女向け雑誌の編集者。 後日、渡された名刺の住所をたどり、護国寺の講談社に訪ねた。 この際、私は初めて遅刻という失態をしてしまった。 当時、渋谷に住んでいた私は、山手線で池袋に出たが、 池袋駅は初めてで、有楽町線の池袋駅が山手線から遠いなんて、知らなかったのだ。 「この仕事、遅刻は完全アウトだからね」とひどく叱られた。 その後、私は遅刻は一回もしていない。 いや、あと1回だけ、時間を勘違いしての遅刻はあった。 愛猫の「紀子(きこ)」が余命いくばくもないと知って、パニックになった時…。 この時は東大教授の取材で、ずっと研究室で待っていてくださった。感謝。 この日から「月刊ミミ」や、その編集者でスタートした「月刊ビッグミュージック」で 私はたくさんのミュージシャンたちと出会うこととなる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年02月02日 08時40分06秒
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