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スーパーで夏みかんが1個250円(+税)で売られているのを見た。
えっ? その辺の空き家の庭に幾つも落下しているのに、買うと270円もするの? 驚くと同時に、「夏みかん」で思い浮かんだ懐かしい光景がある。 まだ幼稚園児だった頃。 日曜日の朝早く、祖母に連れられ、近所へ散策に出掛けた。 祖母は明治28年生まれ。私とは59歳離れていて、私は初孫である。 散策に出掛ける時、祖母は夏みかんに包丁で十文字の切込みを入れ、 それを小さな袋に入れて持参した。今思うと水分補給のためだったのか…。 そして小一時間歩いた後、ベンチなどに腰かけて皮を剥き、一緒に食べるのだ。 祖母は歩きながら、たくさんの話をしてくれた。 昔飼っていた犬たちのこと、道端に咲く花の名前やその花にまつわる物語など。 ただ自分のことはほとんど話さなかった。子供時代のことも、戦争のことも。 もっと聞いておけばよかったなあ、今になってそう思う。 祖母が亡くなった後で、父から祖母の悲しい少女時代のことを聞いた。 奈良県五條市で生まれ育った祖母。 かなりのお嬢様だったようで、 嫁入りの際には、何人かの男衆(おとこし)と女衆(おなごし)が付いてきたそうだ。 でも、祖母は実母を知らずに育ったという。 昔はよくあったことだそうだが、祖母を産んだ母親は産後の肥立ちが悪く、 有無を言わさず実家に戻された。つまり離縁。 祖母は乳母に育てられ、やがて父親は新しい奥さんを迎えた。 でも祖母にとっての継母は、祖母にとても辛く当たったようだ。 実の母の顔を知らず、新しいお母さんにいじめられて育った。 どんな思いで、様子で、子供時代を過ごしていたのだろう。 やがて年頃となり、お見合いをして大阪へと嫁に行った。 その後、夫(つまり私の祖父)は栄転により、 東京の内務省の鑑識課(現警視庁)へ配属となって、横浜に家を構えたそうだ。 初産で出産した長男(私の父の兄)は、赤ちゃんの時に病気で亡くなった。 これも「男の子は育ちにくい」と言われた時代によくあったことらしい。 でも、どれほど悲しい出来事だったか、想像に余りある。 そして祖父も、父が大学生の時に病死したという。まだ50代始め。 恩給があるので、金銭的には困らなかったようだが、 その時の思いも、想像すると辛い。 59歳で初孫が生まれた。つまり、私。 祖母は私をそれはそれはかわいがってくれた。幼少期は毎晩一緒に寝ていた。 でも…私はその愛に、どれだけ応えられていただろう。 とくに大人になってからの私は、自分のことばかり考えてはいなかったか。 結婚で家を出た後は、年末年始や誕生日、GW、敬老の日くらいしか帰らなかった。 ごめんね。 もっと、もっと、甘えたらよかった。こんなに好きなのに。 時々無性に会いたくなるが、どう願っても、もう、それは叶わない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年03月06日 04時27分54秒
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