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6月7日の朝にいきます

6月7日の朝にいきます

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2023年03月05日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
​​​​​​スーパーで夏みかんが1個250円(+税)で売られているのを見た。
えっ? その辺の空き家の庭に幾つも落下しているのに、買うと270円もするの?
驚くと同時に、「夏みかん」で思い浮かんだ懐かしい光景がある。

まだ幼稚園児だった頃。
日曜日の朝早く、祖母に連れられ、近所へ散策に出掛けた。
祖母は明治28年生まれ。私とは59歳離れていて、私は初孫である。

散策に出掛ける時、祖母は夏みかんに包丁で十文字の切込みを入れ、
それを小さな袋に入れて持参した。今思うと水分補給のためだったのか…。
そして小一時間歩いた後、ベンチなどに腰かけて皮を剥き、一緒に食べるのだ。

祖母は歩きながら、たくさんの話をしてくれた。
昔飼っていた犬たちのこと、道端に咲く花の名前やその花にまつわる物語など。

ただ自分のことはほとんど話さなかった。子供時代のことも、戦争のことも。
もっと聞いておけばよかったなあ、今になってそう思う。

祖母が亡くなった後で、父から祖母の悲しい少女時代のことを聞いた。
奈良県五條市で生まれ育った祖母。 かなりのお嬢様だったようで、
嫁入りの際には、何人かの男衆(おとこし)と女衆(おなごし)が付いてきたそうだ。

でも、祖母は実母を知らずに育ったという。
昔はよくあったことだそうだが、祖母を産んだ母親は産後の肥立ちが悪く、
有無を言わさず実家に戻された。つまり離縁。
祖母は乳母に育てられ、やがて父親は新しい奥さんを迎えた。

でも祖母にとっての継母は、祖母にとても辛く当たったようだ。
実の母の顔を知らず、新しいお母さんにいじめられて育った。
どんな思いで、様子で、子供時代を過ごしていたのだろう。

やがて年頃となり、お見合いをして大阪へと嫁に行った。
その後、夫(つまり私の祖父)は栄転により、
東京の内務省の鑑識課(現警視庁)へ配属となって、横浜に家を構えたそうだ。

初産で出産した長男(私の父の兄)は、赤ちゃんの時に病気で亡くなった。
これも「男の子は育ちにくい」と言われた時代によくあったことらしい。
でも、どれほど悲しい出来事だったか、想像に余りある。

そして祖父も、父が大学生の時に病死したという。まだ50代始め。
恩給があるので、金銭的には困らなかったようだが、
その時の思いも、想像すると辛い。

59歳で初孫が生まれた。つまり、私。
祖母は私をそれはそれはかわいがってくれた。幼少期は毎晩一緒に寝ていた。
でも…私はその愛に、どれだけ応えられていただろう。
とくに大人になってからの私は、自分のことばかり考えてはいなかったか。
結婚で家を出た後は、年末年始や誕生日、GW、敬老の日くらいしか帰らなかった。

ごめんね。
もっと、もっと、甘えたらよかった。こんなに好きなのに。

時々無性に会いたくなるが、どう願っても、もう、それは叶わない。






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最終更新日  2023年03月06日 04時27分54秒



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