カテゴリ:母との確執
小学校3年の時に芽生えた母への疑念は、徐々に膨れ上がっていった。
学校のテストが返却されると、母はその点数が80点未満だと私を叱った。 「お母さんが笑われるんですよ!」と叩いたり抓ったりされた。 たとえ平均点が60点くらいでも、叱られた(怒られたと言うべきか?)。 学校のクラスに女の子の転校生が入ってきて、私はその子と仲良くなった。 家に呼んで遊んだ際、母は彼女の父親が銀行員であることを聞き出し、友達として認めた。 でも何かの折に「おばあちゃんは八百屋さんだったの」と彼女が言ったとたん、態度が一変した。 「商人の家の子だなんて。うちは家柄・血統がいいんだから、もう一緒に遊ぶのは許しませんよ」 居間に祖母がいる際に、母はわざわざ新聞を広げ、死亡欄を読み上げる。 「〇〇学者の〇〇〇さん。69歳。…立派な人は早く死ぬのね」。 そして祖母が居間を去ると、私に「おばあちゃんはいつかしら?」と言う。 私は祖母がこの世からいなくなることに、強い恐怖を覚えるようになった。 そして小学4年生の夏休み。お盆の時季に、いつものように母の実家に連れられて行った時のこと。 母方の祖母が「順子は何が好き? 明日のお昼ご飯にこしらえたるわ」と聞いてきた。 私は「お雑煮」と答えた。 でもお膳に載ったのは、私が食べたかった「雑煮」ではない。 私にとっての雑煮は、関東風。 鶏ガラ出汁の醤油味。四角いお餅は焼いてから入れる。 でも用意されたのは関西風。 白味噌仕立てに、焼かない丸餅を入れて煮てある。 一口食べて…口に合わなかった。 「これじゃないの」と言った私に、母方の祖母は怒って手を挙げた。 「あんたが食べたい言うから、こしらえたんやないの!」 泣きながら横を見ると、目に飛び込んだのは、口の端を歪めて笑った(ように見えた)母の顔…。 母には最初から解っていたはずだ。私の言っている「お雑煮」が実家のそれとは全く異なることを。 母は私が叩かれるのを喜んでいる。・・・そう感じて、ますます母を信じられなくなり、 そこから私の母への憎しみが、ことあるごとに増していった。 今はどうか知らないが、昔は霊柩車が通ると、あわてて親指を隠したものだった。 親があの世に連れて行かれないように・・・と。 でも私は霊柩車を見ると、急いで親指(お父さん指)は隠したが、 人差し指(お母さん指)をそれに向かって突き出すようになった。 そして、優しくて大好きな祖母が死なないようにと、毎晩、眠る前に祈るようにもなっていた。 母にも母なりの理由や葛藤があったのだろう、と今では思える部分がある。 そういう育てられ方をしたから、同じような育て方しかできなかったのかもしれない、とも。 でも・・・一度でいいから、優しくハグされたかった。 顔色を窺うことなく、無邪気に甘えたかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月22日 14時39分09秒
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