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6月7日の朝にいきます

6月7日の朝にいきます

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2023年05月06日
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カテゴリ:母との確執
​​​​小学校3年の時に芽生えた母への疑念は、徐々に膨れ上がっていった。

学校のテストが返却されると、母はその点数が80点未満だと私を叱った。
「お母さんが笑われるんですよ!」と叩いたり抓ったりされた。
たとえ平均点が60点くらいでも、叱られた(怒られたと言うべきか?)。

学校のクラスに女の子の転校生が入ってきて、私はその子と仲良くなった。
家に呼んで遊んだ際、母は彼女の父親が銀行員であることを聞き出し、友達として認めた。
でも何かの折に「おばあちゃんは八百屋さんだったの」と彼女が言ったとたん、態度が一変した。
「商人の家の子だなんて。うちは家柄・血統がいいんだから、もう一緒に遊ぶのは許しませんよ」

居間に祖母がいる際に、母はわざわざ新聞を広げ、死亡欄を読み上げる。
「〇〇学者の〇〇〇さん。69歳。…立派な人は早く死ぬのね」。
そして祖母が居間を去ると、私に「おばあちゃんはいつかしら?」と言う。
私は祖母がこの世からいなくなることに、強い恐怖を覚えるようになった。

そして小学4年生の夏休み。お盆の時季に、いつものように母の実家に連れられて行った時のこと。
母方の祖母が「順子は何が好き? 明日のお昼ご飯にこしらえたるわ」と聞いてきた。
私は「お雑煮」と答えた。
でもお膳に載ったのは、私が食べたかった「雑煮」ではない。

私にとっての雑煮は、関東風。 鶏ガラ出汁の醤油味。四角いお餅は焼いてから入れる。
でも用意されたのは関西風。 白味噌仕立てに、焼かない丸餅を入れて煮てある。
一口食べて…口に合わなかった。
「これじゃないの」と言った私に、母方の祖母は怒って手を挙げた。
「あんたが食べたい言うから、こしらえたんやないの!」

泣きながら横を見ると、目に飛び込んだのは、口の端を歪めて笑った(ように見えた)母の顔…。
母には最初から解っていたはずだ。私の言っている「お雑煮」が実家のそれとは全く異なることを。

母は私が叩かれるのを喜んでいる。・・・そう感じて、ますます母を信じられなくなり、
そこから私の母への憎しみが、ことあるごとに増していった。

今はどうか知らないが、昔は霊柩車が通ると、あわてて親指を隠したものだった。
親があの世に連れて行かれないように・・・と。
でも私は霊柩車を見ると、急いで親指(お父さん指)は隠したが、
人差し指(お母さん指)をそれに向かって突き出すようになった。
そして、優しくて大好きな祖母が死なないようにと、毎晩、眠る前に祈るようにもなっていた。

母にも母なりの理由や葛藤があったのだろう、と今では思える部分がある。
そういう育てられ方をしたから、同じような育て方しかできなかったのかもしれない、とも。
でも・・・一度でいいから、優しくハグされたかった。
顔色を窺うことなく、無邪気に甘えたかった。






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最終更新日  2024年03月22日 14時39分09秒
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