|
カテゴリ:カテゴリ未分類
石橋湛山が、政治とカネの問題について何か書いていたな、ということを思い出して、昔読んだ本を見てみると
石橋湛山評論集の、「4戦時下の抵抗」というところに、「綱紀粛正論者の認識不足、我が政治の良化をかえって妨げん」というのがあって、そこに次のような文が出ていました。 「浜口氏(浜口雄幸のことで、この文が書かれた時点では、すでに死んでいる)は、確かに近頃珍しい謹直の政治家であったに違いない。しかし、いかに彼といえども、無資力では政界に枢要の地位を占めることは出来ぬ。さりとて彼にはもとよりその金はない。とすれば問わずと知れたどこからか援助を受けるほかはない。その中には真に浜口氏に傾倒し、何ら求むる所なき浄財を献ずるものもないではなかったろう。けれども古今を通じての人情を考えれば、寺社に献ずる賽銭にも、何かの願いが伴っているのが常である。先日の検事調書に『かような金を出しておけば、後日会社のためになるものだと思っておりました』とある位の意図の付いて居らぬいわゆる政治献金が、世に幾許もあるものとは想像せられぬ。それを厭えば、自己に巨額の資産を持たぬものは一切政界から退却し、而して政治は一切富豪に任せるほかはない。しからばあるいは綱紀問題は起こるまい。しかしさような政治は果たして喜ばしきものかどうか。誰も即座にウン善かろうとは答え得まい。」 戦前に書かれた優れたものは、現在は、あまり書かれないことを、明快に書いていることが多いので、現在のことを考えるのに、非常に役に立つ。 鈴木宗男に同じような問題が起きたとき、亀井静香が、「政治家の誰もが金のスプーン銀のスプーンをくわえて生まれてくるのではないですから」と言って、弁護していたのを思い出します。 わたしも、法律上は、いかんともしがたいが、このような観点は、必要であろうと思います。 で、今回の総理大臣の件は、まさに、「金のスプーン銀のスプーンをくわえて生まれて」きた人のことですから、どれだけ弁護できるのか。 亀井静香が、なめきっているのも、それなりの理由がある、という気がします。 石橋湛山の書いたものを読み返して、驚いたのが、明治以降、人材を輩出した鳩山家に生まれ、すでに、かなり資産を有していたと思われる、現首相のおじいさんの鳩山一郎が、浜口雄幸に献金した人と同じ人から献金を受け、汚職事件に関係ありとして、文部大臣を辞任していたことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年12月25日 11時53分19秒
コメント(0) | コメントを書く |