過酷な環境の中でも
現世がどんな過酷な環境の中でも自分を見失わず、我を取り除き、動物習性を取り除き心の超作、自分づくりを目指していかないといけませんねほんと霊的なものばかり重点に置かずにデコボコした心の角を取り落として、まわるい心を取り戻す為に、まず気づきがあって始めて対処できますからねその為にも反省や悔い改めしたり、心の浄化に努めてただ超作して行くのが良い事だと思っているのです。人生後半に差し掛かる時に、自分が歩んだ道をもう一度振り返ってそれ以後ポジティヴなものにしていかなくてはならないと思いますが、どうも見ていると、気づかずそのままにしているようなまた難病とかどうにもならなくなった時ぐらいしか振り返らないような多分自分がいくら言ったところで、それは宗教だとかたずけているように思います。だからほんと心から後悔の念とかあれば、行動に移していると思います!!記憶の中に埋もれているだけにすぎない。もう終わった事ではないのです誤魔化しは一切できないのですね。テープレコーダーのように一瞬、一瞬刻み込まれているのです。自分はカルマと言うものを開けて、いますから解っているのです。カルマの洗い直しがどんなに重要なのかもね。ではどうすれば良いのか 心の原点 新装改訂版 (心と人間シリーズ) 高橋信次高橋信次師の心の原点に記載されていますね。禅宗の座禅にの目的は心を空(カラ)にし、その空の中から己を見出そうとするらしい。一般的には無念無想になることが、仏を見性することになるらしい。ところがゴーダマ・ブッタが教えた瞑想はそうではない。毎日の想念と行為の在り方が、中道に敵ったそれであったかどうかをたしかめ、誤りがあれば、神に詫び、智慧と勇気と努力で、二度とその過失を繰り返さない自分を修正して行く事にあった。したがって、瞑想の目的は反省にあって、一日二十四時間の、正しい生活をめざすものであった。瞑想の為の瞑想ではないのである。