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という記事がネットに書かれてあった。(以下、敬称略)
20人の推薦人を持たないということは立候補できない。
出たくても出れない。出馬表明できない。
出馬がとりだたされていた西村智奈美、小川淳也、馬淵澄夫、大串博志、泉健太の中で、出馬表明したのは西村智奈美、泉健太のふたりのみ。そして、逢坂誠二を加えての三名である。
この中で一番最初に出馬表明したのは逢坂誠二である。
突如の出馬はなぜか。逢坂誠二が所属する立憲民主党内の最大グループ「サンクチュアリ」からの要請を受けてのことだ。
「サンクチュアリ」は政界を引退した赤松広隆が中心としてできたもので、赤松のあと近藤昭一が会長となった。そして、立憲民主党代表を辞任した枝野幸男が顧問となったばかり。このグループには小川淳也がいて、グループからの推薦をもらえばいち早く出馬表明できたであろうに、グループでは以前所属していた西村智奈美を推す声が出ていた。そこへ、政界引退をしたばかりの赤松が頻繁に顔を出し、院政をひくのかとも言われているが、西村議員と小川議員ともに経験不足と反対して、逢坂議員をグループとして擁立することが決まったのだそうだ。
まったく知らなかった逢坂誠二をウィキペディアで調べて見たが、確かに要職に次ぐ職に就いていてニセコ市長での実績など経験値は小川淳也よりあるように思われる。しかし、当選回数でいえば逢坂誠二は5回、小川淳也は6回であるし、西村智奈美も6回である。衆議院議員としての経験値は二人のほうが長いのである。泉健太は8回。
「サンクチュアリ」の中、国会議員27名のうち衆議院議員は10名、年配と若手を除くと小川淳也と逢坂誠二くらいしか候補となるべく人がいない。今回の総選挙での注目度、人気からして小川淳也を推すことが妥当と思われるが、赤松らが御しやすい逢坂誠二を選んだのではなかろうか。
もし、仮に小川が逢坂よりも要職という点において経験不足というならば、それは大した意味をなさないのではないかと思う。というのも、過去の民主党での要職経験者を除いての代表選びであるという点。また、明治維新を顧みても要職など一切かかわりあいのなかった下級武士が明治政府を作り上げていった歴史的事実をからして、余分な経験はじゃまではないのかと考える。
次に逢坂誠二は1959年生まれの60代である。前代表の枝野幸男が1964年生まれの50代。先祖返りしてしまうではないか。バブル期をしらず就職氷河期世代の小川淳也は1971年生まれの50歳。西村智奈美は1967年生まれの54歳。泉健太は1974年生まれの47歳である。次代を担う若手に党代表を任せるべきではないだろうか。
さて、先陣をきって意思表明をしていた小川淳也はまだ出馬できていない。
はたして出馬できるであろうか。
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最終更新日
2021.11.20 18:24:13
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プロフィール
キメジマ
わたしは映画がとっても好きです。
青春映画、人間ドラマ、サスペンス、スリラー、アクション、アニメ、史劇、戦争物、等々。特にラブストーリーが大好きです。素敵な作品を紹介していきたいです。
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