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テーマ:訃報(134)
カテゴリ:生きるということ
「俳優・穂高稔さん死去 享年94」の記事何気にネットを開くと目に入った。 クリックして見る。 令和3年11月23日に心不全により永眠とのこと。 ご冥福をお祈りいたします。 思い起こせば、上京して入った俳協俳優養成所。35年も前の話だから、先生はアラ還だったんだな。地方出身者である先生は話法を教えていた。関西地方からの癖の強い言葉をしゃべる私を含む三人は大いにしごかれた。どのようなご指導だったかは記憶にないけれど、相当厳しかったことだけは体感として残っている。東京育ちの東京なまり(”ヒ”と”シ”が同じになるなど)はありながらも標準語をきれいに話せる優等生とはおおきくかけ離れ、三人はしゃべれば直され、繰り返し言わされ、直っていなければなんども言い直させられた。半年もすると一人は登校拒否にてこの授業は欠席となり、一人はなまりが直らないまま悪戦苦闘。かくいう私も悪戦苦闘して、ついには関西弁なのか標準語なのか、言葉のアクセント、イントネーションが混濁して訳が分からなくなってしまっていた。それでも俳優になることを夢見て、毎週のレッスンに通った。あまりのきびしさに我々劣等生はもとよりそのほかの生徒にもあまり好かれてはいなかったように思う。 一年間のきびしいご指導の最後のクラス。これまでの感想を述べられ、「よくがんばりましたね」と腕時計をいただいたことが忘れられない。穂高先生は応援してくれていたんだ、と思った。 その後、何がどうしたのか相手が関西弁でないと関西弁が話せないという変な状況をくぐりぬけ、普段の会話は標準語で話しているので、関西出身者だとわかると周りの人は皆、一様に驚く。これは穂高稔先生のご指導のたまものだと感謝している。 穂高稔先生、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.12.01 18:50:32
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