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テーマ:読書(8590)
カテゴリ:読書
”逆ソクラテス”って何だろう? 読んでも良くわからなかったので、というか忘れてしまったので戻って読み直して理解した。 ソクラテスは「無知の知」が有名である。 しかるに”逆ソクラテス”とは無知であることを知らない。 知識はいっぱいあって無知という知識もあり、一周回って元の位置。 つまり何も知らない人と同じ立ち位置。 ”無知”であることを知らない人と同じ。 ”無知”であるという自覚を持たないことなのだと思う。 最初の位置から動かない人と一周回って最初に戻った人とどう違うのか見分けはつかないが、”無知”を知っていながら”無知”だと自覚しない人は何も知らない人と同じように見えて違うものなんだろうなぁ。 さてこの物語。脈絡はあるけれど誰が主人公かわからなくなってしまい(読み手の私が良くないのか)、やや戸惑うがなんとか読み終えた。 読み終えてみて当初感じていた先生の頼りなさ、小学生のふがいなさが顕著に描かれていて、それが良くないかのように思えるが作者自身はそんな風にはとらえていないような書き方で、最後まで読んでいくと、正直に行動したほうが良いということやバスケットボールの試合の最後の1分は永遠なんだということがわかる。 読了後、大いに鼓舞されることも感銘を受けることもなかった本書について考えていると、本の内容は”お天道様が見ているぞ”ということなのかな、と思った。 その昔、昭和の時代には”清く正しく美しく”や”早起きは三文の徳”や”お天道様が見ている(誰も見ていないと思って不正はするな)”などなど幾多の名言があった。 みんなが貧しかった時には真面目で正直者であろうとしていた社会であるが、”悪い奴ほどよく眠る”や”勝てば官軍”など勝利第一主義や拝金主義がまかり通るようになると、ばれなきゃ何やってもいいみたいな風潮になってきているようである。スパルタ教育はだめでゆとり教育も成果をあげず、勉強第一主義の学校において小学校では勉強以外のことも教えるところであるという先生(作家)の考えを伝えるとすると、恐怖や恫喝や体罰などで言うことを聞かせるのではなくその者自らが他人への嫌がらせなどしない人になるようにするためにするには、本人自らが悟(さとる)しかないというようなことを書いている。 わかったようなわからないようなあやふやで暖簾に腕押しのような感じの内容について考えあぐね理解したところ、私の場合は”お天道様が見ているぞ”という教えにいきついた。 といったところでこの本を評価できるのかどうか、どうなのでしょうか。 逆ソクラテス (集英社文庫(日本)) [ 伊坂 幸太郎 ] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.05 23:14:01
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