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今日は、連添いの所属する団体の理事会が午前中にあったため、私も付き合って教会行きを断念して家で過ごした。連添いとはそれがかち合ったものの、私は行動自由、久し振りにネットで礼拝に参加しようと思い立ち、今日は教団の小松教会を訪ねた。
ここは札幌時代に連添いが親しくしていた教会仲間のTさんの所属教会、何回か訪問した際の礼拝にも伺っている。偶々だが、この教会のM牧師が連添いと大学の同窓でもあったために親密さを覚えている。また、能登半島の地震の影響に関しても確認したい思いもあった。 HPは、音声の扱いが不安定な面もあったがメッセージは明瞭に聞こえ、何というか、久し振りに典型的な礼拝に出席できた気がする。不遜な言い方で恐縮だが、起承転結の納まりがいいのである。聖書の申命記7章6~11節、ペテロ前書2章1~8節から、選民とは優越感とは対極だと改めて認識させられた。 併せて能登半島での地域教会支援の動きや、教会員の訃報からの話題も心に残った。特にM牧師の父君が今月3日に、直前まで食事も摂りお元気だったのが、庭いじりの最中に突然召されたという話も印象的で、こうありたいと願えるものだった。 そんな訳で少し殊勝な気分になり、、昼に近くの蕎麦屋でよりによって天丼と卵とじうどんを戴き、スーパーで買物をした以外はおとなしく過ごした一日となった。 もう一つの話題は、昨日息子から贈られたカーネーション。我が家は記念行事には結構淡泊で、誕生日も声かけ合いだけで済ませたり、バレンタインデーとホワイトデーや母の日と父の日とはお互いに相殺しようという思想の持ち主であり、実はこんなことは初めて、それだけに連添いの感動たるや一入である。 ただ、感動すればよい連添いと異なり、私はそのメンテを請け負う役割、この鉢植えをどうしようかと思案に暮れるところである。現に、昨日貰ったままにしておいたら花が萎んできたので慌てて水遣りをしたのは私である。最近のは説明付きで、メンテ方法まで添えられている。 大事に扱えば来年もまた花を咲かせるそうで、解説に従って面倒を見て行こうか、と今のところ決意している。まあこの家の植物共、アロエは放っておいても育つし、元気のないベンジャミンを気に掛けてはいるが、これもそれほど育て方が難しいわけではないらしい。家族として遇していこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 12, 2024 09:44:34 PM
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