もう何年も前から『テレビの役割・今後の形』というものが色々な形で文章化されていて目にすることがあります。
インターネットとの対比論です。
例えば週アスPUSに掲載されているこの記事。
これからのテレビ設計と、ソーシャルの力
(文●相川いずみ、編集●ジャイアン鈴木)
遠藤 『私は未来に住んでいる』というニューヨーク・タイムズのコラムニスト、Nick Bilton氏が書いた本があるんですよ。『I Live in the Future & Here's How It Works』って、すごい大上段の書名ですよね。「未来に住んでるから、俺の言うとおりになる」ってことなんだと思うんですけど。要するに、あらゆるメディアが融合したりリンクしあったりして、なにが重要になるかとというと、“ストーリーテリング”だって言うんですよね。単純にコンテンツがぼんと出てきて、みんなで見るというのではなくて、物語性というのが大切になってくると。
ユーザーが見て、なにが起こったかとか理解する。ネットではそういうことが多いんですよね、たとえばスーザン・ボイルがなぜ出てきたとか。そういうのがすごく重要で、いかにそれをプロデュースするかみたいなことが大事になると。そういうときに、テレビ局って、やっぱり茶の間の中心的なメディアだから一個のキーですよね。
安藤 「さあ、なにをやろう」みたいな話ですよね。
遠藤 そういう時代には、もうリモコンじゃなくなる?(笑)
安藤 いや、リモコンがなくなるとややこしい話になってくるんですよ。たとえば操作がセカンドスクリーンになってしまうと、人の目線がどうなるか。コンテンツがこっちにも存在しているのは、なんかそれは……。
遠藤 スマートフォンやタブレットをテレビと連携する“セカンドスクリーン”の議論とかもそうですね。
安藤 だからスマホがコントローラーになるのはあるとして……。僕はテレビでソーシャルをどうやろうかと何年も前に考えたときに、ラジオってすごくツイッターと相性がいいなって。そもそも企画そのものが、お便りを読んだり、メール投稿を紹介するとかなので。視聴者は耳でラジオを聴き、あまっている目でツイッターなどを見られるんです。
テレビの場合は、スマホがリモコンの代わりになるのか、テレビのもう一個のサブディスプレーになるのか。セカンドスクリーンって、スクリーンという名のコントローラーなんです。だからコンテンツやサービスが、スマホをコントローラーと見るかディスプレーと見るか。我々つくる側としてはどう使っていくか。セカンドスクリーンと一言で言えば簡単ですけど。
( 中 略 )
安藤 今、エンゲージメント率という話がありましたけど、たとえばそのFacebookページで、何十万人とか集めたページがありますと。で、そのページでただ確かに情報を発信しているだけだったら、マスと同じことをやっているに過ぎないんですよね。それだったらマスがやります。とはいえ、今までの広告業界的な考え方とか古い考え方で言うと、“いいね!”はいくつあったの? フォロワーは何人あったの? というところばかり見ている。「相互フォローしたらフォロワーが増えます」とか、そんな小手先のテクが横行しちゃう。
マスと同じことをやったらマスに勝てないです、その世界だったら。この間、某住宅メーカーのFacebook担当者とたまたま話す機会があって、その方が言っていたのは、モデルルームにお客さんが来たら、3人に1人は買うらしいですよ。
遠藤 え?!
安藤 リアルな話。リアル営業の話ね。
遠藤 そんなに……。要は買おうと思ってきているわけですよね。
安藤 そうなんですよ。買おうと思ってきている。とはいえ、来させるまでが大変。逆に言うと、その会社はコミュニケーションの達人。言い換えると、エンゲージメント率のやり手の集団なわけですよ。で、その方たちが言っていたのは、マスで広く蒔いても脱落率が尋常じゃないわけですよ。
コンビニならCMで見たからこれ買おうってなるんですけど、家くらいの規模になると、テレビでやってたからこれにしようとかじゃなくて、相手が信頼できる人とか人間性とか。その住宅メーカーのFacebookだと、完全にFacebookページが営業マン状態になっている。一般の方から「うちの家を建てた時にお世話になった○○さんもFacebookページで紹介して」と言われて、Facebook担当者はわざわざその地域に出張して取材して載せる。すると自分たちが「お客様の評判がすごくいい住宅です」なんて言わなくても、一般の人たちがすごくよく書いてくれる。
そのページ見に行くと、確かに“いいね!”の数が少ないんですよ。大企業の“いいね!”数に比べて少ない。だけど、ものすごい効果を生んでるので、尋常じゃないエンゲージメント率なんですよ。あー、ソーシャルの使い方はここに来たな、っていうのをすごく感じた。だから、もしうまく連携できたら相当強いはずなんですけどね。
私はテレビを見ることが少なくなりましたが、必要性がないというより 『飽きた』部分を否定できません。
・・・というより 画面の向うがしょーもないことを場外まで持ち込むことをマスコミも含め 悪いと思っていないので視聴者としての肯定ができない。
先日もAKBが
『ピアスの穴が開いていたら推しを辞めるとか馬鹿』発言がありましたが、直近でもね・・・
藤田は、あるTwitterユーザーの「トータルテンボスのネタは『銀の匙』のパクりやんか なんかムカついた」とのツイートや、また別のユーザーの「トータルテンボスが『銀の匙』をまんま使ってるのが、めちゃくちゃに腹立ってきた」といったツイートに反応。このネタが生まれた経緯を説明した上で、「面倒くせぇヤツだね、理屈抜きで楽しむ事ができないって不幸なやっちゃね」「年内でTwitterいや、今月でTwitterやめます。何も楽しくない。自分勝手な理屈っぽい評論家気取りのお笑いフリークが多すぎる。あぁ気持ち悪ぃ!」とツイートし、Twitterを辞めると宣言した。
ただ、藤田は14万人超のフォロワーを抱えており、「辞めないで」との声も多々。そうした声に感謝しながらも「たくさんの引き止めありがとうございます。アナタ達の様な方々だったら楽しくできたのでしょうが理屈っぽい評論家気取りのライブにも来た事の無いようなうんこがいるので、もうやめます」と意思は固く、「震災の時にはTwitterがすごく活躍したので止めるにはしのびないてますが、今月をもって閉鎖したいと思います」とつづっている。
(10月15日ナリナリドットコムより)
Twitterが馬鹿発見器と言われていますが、とにかく『公に出て銭を稼ぐ』人が都合が良いところは 高みに登って、都合が悪くなると視聴者と同じレベルでの保護を求める。
この記事なんかはテレビでやるんだから『銀の匙』は知っていてもトータルテンボスなんか知るか!って人も当然いるわけですよ。
だったら会員制で放送しろって話でね。
『理屈っぽい評論家気取りのライブにも来た事の無いようなうんこ』
なんて書いちゃってねぇ。正直といえば正直なんでしょうが これじゃぁ『コレで笑わない奴は分かっていない』と勝手に言っているナルシストですって。
理屈抜きでつまらん芸(芸でもないようなのもいる気はしますけどね)でも多数の信者さんがあつまれば その世界だけでは正義になるのでしょう。
相互での連絡ができる道具を使っていながら、まして浅く広く見られるテレビでの行動を批判されながら 相手側の立場を認めないって言うのはありえないんですよ。
私は『イヤなら見るな』で、テレビはいいから気楽で、視聴者は無責任でいられて、 娯楽で、 放送する側に自由が生まれるものだと思っています。
勿論私の勝手な意見ではあります。
しかし、一方的に広範囲に流せるメディアってやはり大きな影響があるんですよ。
だから出演者も知名度やギャラのために利用するんでしょ?
そこから共通認識・認知が生まれるから 『銀の匙』を元ネタにもできるわけでしょ?
私はインターネットの方が利用者が主体的に選んでしまうからこそ 『狭い世界』の特化したメディアであると感じます。
それに対して地上波って先にメディアからの発信があって、『この指止まれ』なわけです。
今までのような絶対的な地位は無理であっても、広告の媒体・情報のベースとしてはやはり強力な存在です。
更に詳細な宣伝ツールとして Twitterを利用するのもよいですが、これは相手にも自分と同じレベルでの発言権を与えるツールですよ。
批判・批難が容赦なく飛んでくる。
一方的に発信したいのなら別のツールを選べばよいだけ。
もしくは範囲を絞ればよいでしょう。
テレビの衰退なんて言われていますけど、実際にはツールをもてあました業界が勝手に今までと同じレベルで 上から目線でやっているのが なまじ透明化したり、視聴者に近づいたからばれているだけでね・・・。
巨大な道具を持ったテレビ・広告業界が適切な選択と 規模の縮小を理解できるかどうかでしょう。
なんだかんだで浅く広く伝えることのできるテレビ広告というツールは有益ですよね・・・。
道具の対象と使い方を間違えなければ広告業界はもっと効果的になるような気がするんですけどね・・・。