先日NHKで『自殺を防ぐ』特集をやっておりました。
簡単に言えば
「自殺にたるルートを解明することにより 適切な対処ができるような
制度・環境づくりをすることにより自殺は防げる(減らせる)」
というもの。番組はこのルート解明の取り組みを行っているNPO法人を中心に構成されていました。
冒頭のアニメはこれまでに記憶にあった「人生」に関するものを Youtubeから改めて拾ってきたもの。
比較的最近ではディズニーランドのCM(下記)や鉄拳の『振り子』等もこの類。
内容的には 『喜』『楽』のものも有れば『哀』『怒』にあたるものもこうしたものには有ります。
が、それぞれ考えるべき部分が有るように感じます。
私は適切な対処・制度なんてものは現実に存在しえると思っていない = 現環境化においては自殺は減らない と考えています。
このNPO法人の方々はそれぞれの専門家で構成され、使命感に燃えて努力されているのでしょうが、おそらく救えている・救える人というのは結果から見て自殺を”しない”人だと思います。 だって自殺に踏み切るかどうかのスイッチなんて類型化しようがそれは『表面上のキャラクター・経歴』によるもので、内なるどろどろした部分から来る そこまでの距離なんて図りようが無いですから。
そんなに心を開いている人ばかりだったらこんな世の中になるわけないし。
番組内で『身近だからこそ、家族だからこそ自分の状況を隠されてしまい気づくことができなかった』という視聴者の意見が寄せられておりました。
自殺者の関係者に鞭打つわけではありませんが 『それなら誰が気づけるんだ?』というのが率直な感想です。
先般の滋賀県の学生が自殺して大騒ぎした時もそうですが、基本的に学校は他人事ですし 学校自体・・・教師の人間性などの問題による虐めの拡大(私はかつてコレを経験しています)すらあるのに、根本的な対処が制度整理でできると考えるほうがおかしい。さらに教師とて人間であり、一人ひとりの生徒に対応できる時間的余裕も限られていることを頭から外すべきではないでしょう。
『一緒にいて感じ取ることのできない』
私はこの原因は『急かされている社会』に求めたい。
『異常な価値観への批判』ともいえます。
例えば まったく関心が無い(要するに嫌いよりも悪い状況)の相手と二人、一室に長時間いれば、良くも悪くも相手のことは何かしらの感情を伴って『自分なりの理解』をするでしょう。
うざったいと感じるか、意外といい奴と感じるか・・・、それはわかりませんがね。
逆に『家族』で括ろうが、
(1)家族の行動がルーティンワーク化しているケース
や
(2)時間的・空間的接点が乏しいケース
(3)関心の範囲が重ならないケース
といった状況の何れかが当てはまれば『変化・予兆』なんて簡単にスルーされるでしょう。
しかも地元で考えても 幼少の頃から夫婦共働き、地域社会との接点の消失(商店街・自治会消滅など)、受験の早期化による家庭で過ごす時間の減少・・・・。
上記(1)~(3)を満たす環境が進行してしまっているわけです。
世間様は海外との競争を猛烈に言いますけど、正直その流れに乗れている人、まったく落ちない人って本当のところどれぐらいいるんだろうと不思議に思います。
余裕があれば・・・ 時間が有れば・・・ 言い訳じみていますが人のこと、人の変化を知るのにはやはりSNS等の”キャラ作りによる平面的な人格”よりも現実を見ないと難しいと思ったりするわけです。
”つながり”って何なんでしょうね。