ファンシパン登山記 三日目
旅行会社のオフィスに午前9時に集合する。ひさとみはモン族の流しの土産売りにつかまり包囲される。ぼくは道往く人々を眺めながら、数枚写真を撮る。9時をちょっと過ぎたころに、ガイドのクオンとポーターのテーがやってきた。あいさつをして、早速ジープに飛び乗る。途中、景色のきれいなポイントや、「銀の滝(Thac Bac)」などに寄り、登山口に到着。ジープと運転手はサパに引き返した。 さいなら。 この登山口が標高約1,500メートルで、今夜泊まることになっているところが2,200ぐらいだったと思う。でもうろ覚えで自信なし。メモを取らんとな。所要時間は5時間ほど。道は日本の登山道ほどは整備されていないが、それほど悪くはない。ただ荷物が重く、アップダウンを繰り返すので、ちょっときつい。ぼくらはテント、寝袋、食料、水3リットルほどをザックに詰めていたので、重くてしょうがない。その他着替えやらなんやらもあるし。でも後からわかったことだが、食料や水なんかはそんな大量に持っていかなくてもよかった。飲み水が汲める渓流がかしこに点在してた。食料もポーターのテーが十分かついでくれていたし。無駄な荷物だった。夏ならテントもいらないので、なるべく軽装で行かれることをおすすめします。 昼飯はパンに野菜やチーズなどを挟んでほおばる。食後には果物。寛いでいるときに、ガイドのクオンがいろいろと説明してくれる。20年ほど前にこのあたりで山火事があった。丸焼けになって大きな動物はいなくなってしまったらしい。確かにこのあたりには高い樹があまりない。くろこげになって残っているやつはあるが。でももう20年も経っているのだから、動物がもどってきてもよさそうなもんだが。それとも植生が変化して、彼らが住みにくいところになったのか。それとも食い尽くしてしまったか。山火事以外の原因もあるのだろう。 ほかにもクオンとテーはいろいろ話をしてくれた。クオンはもうこれが50回目のファンシパン登山となるベテランで、テーは今回が初仕事となるとのこと。クオンは山に登るのが好きなわけではなく、あくまで仕事としてガイドをやっているとおしえてくれた。 「でも経験を積んでいけば、所属している旅行会社で別の仕事、たとえばデスクワークなんかも任せられるようになるんだろう」 ぼくはそう訊いてみたが、 「そんなことはない」 クオンがちょいとやけ気味に答えた。 確かに同じ山に客を連れて何度も何度も登るのは、よほどのもの好きでないかぎりたのしいことではないだろう。まあぼくも好きでもない仕事のために毎朝電車に乗っているわけで、その点は大差ないが。 ぼくとクオンのエンゲル係数も大差ないかもしれない。でも決定的に違うことは、ぼくやたいていの日本人は、行こうと思えば世界中のたいていの場所に行けるが、クオンやテーやたいていのベトナム人は、行きたくともなかなか行けるものではない、ということだ。経済的な理由もあるし、査証の問題もある。クオンは日本に興味がありいつか行ってみたいと言った。それは一日本人として素直にうれしい。 「そのときはぼくんちに泊まりなよ」 クオンはわらって肯いたが、その目は実現を信じている風ではなかった。そしてクオンは正しいだろう。分別があれば、そんなことを信じるなんてできないのが現状だ。さびしくて、残酷な会話だった。 昼食後、ぼくらは歩き続ける。本日は晴天なり。青空を背景に写真を撮る。明日も晴れてくれるといいが。いまは乾期のため雨の心配はさほどないが、頂上付近がガスで覆われていると景色どころか10メートル先も見えなくなるからなあ。できれば360度のパノラマ風景を眺めてみたい。 重い荷物にかなりひざがへばってきたころ、やっと本日寝泊りするポイントに到着。渓流のそばにあるちょっと開けた場所に、ビニールシートで覆われた限りなくテントに近い小屋が出現する。荷物をおろして一休みしてると、小屋番のズンさんが火をおこしてコーヒーを淹れてくれる。いくらベトナムといえども、晩秋の山は寒い。火にあたりながら飲むコーヒーはインスタントだけど最高。薪が燃えているのをながめていると、本当に飽きない。明滅するおき火ほどうつくしいものがこの世にあるか。ないね、とぼくは言いたい。 夕飯は盛り沢山だった。揚げ春巻き、キャベツとトマトの野菜炒め、煮込んだ鹿肉、スープ、ほかにもなんかあったなあ、忘れたけど。日本の米もうまいが、ベトナムの米も負けず劣らずうまい。日本のように冷めてもうまい米ではないが、軽くて胃にもたれない。ごはんの炊き方も違う。まずお湯を沸騰させ、そこに米を入れる。沸騰したら蓋を開けて湯を捨てる。そして直火があたらず火力の弱いところに置き、しばらく蒸らせば完成。米が違えば炊き方も食し方も違ってくる。日本然り、ベトナム然り、それぞれの国の先人たちが受け継いできてくれた智恵なのだ。 夕食後は当然酒、つまり米焼酎だ。ベトナムでは自分のペースでしみじみ飲む、なんてクールな態度は許されない。杯を合わせては一気飲み、ひたすらそのくり返し。ズンさん、ひさとみ、ぼくの三人は酒が好き。クオンはそれほど好きではないが飲める。テーは一口だけのお付き合い。 酔うほどに座は盛りあがりを呈する。「いわい」や「かおる」(ひさとみの名前)はベトナム人には覚えにくく発音しづらくやってらんないという苦情が出て、ベトナム名をつけることになった。ぼくは数年前ハノイ留学時代に自分でつけた「ナム」があるのでそれにする。ひさとみはズンさん命名で「ニャット」になる。 漢字にするとナムは「男」もしくは「南」。ニャットは「日」。ベトナムもかつては漢字を用いていた漢字文化圏であり、漢字が元となった音がたくさんあるのだ。現代のベトナム人のほとんどは漢字を読み書きできないけど、ナムやらニャットがどういう意味を持っているかはあたりまえだが知っている。ベトナム語はおおまかに三層にわけることができる。ベトナム語固有の言葉、漢字が元となる言葉(漢越語)、そして英語やフランス語などからの外来語。そのへんは日本語とそっくりだ。まあ、日本ほど外来語にあふれてないけど。 話がそれた。とにかく何度も杯を重ねてどんちゃん騒ぎ。明日こそ本番の登頂の日だというのに・・・ 。前後不覚となり、テントにもぐりこむ。明日の朝は早い。 つづく