まみだって猫である(?)
大島弓子のコミック「 グーグーだって猫である」を原作に監督・犬童一心、主演・小泉今日子で映画化。東京吉祥寺に暮らす麻子は天才漫画家。締切りに追われる忙しい日々の中愛猫サバ(フランス語でこんにちわの意)を亡くし、漫画が描けなくなってしまう。そんな彼女がペットショップで子猫と出会って……。昨日の4月15日はタロの2回目の命日今までは猫の映画は観ることが出来ませんでした。愛猫を亡くす喪失感小泉今日子の飄々とした演技が大袈裟では無く共感がもてました。映画の中の誰かのセリフに「2代目の猫は2匹分の愛情をもらっているんだ」とありましたがそのとおりだと思いました。タロを失った時は次に猫を飼うなんて考えられませんでしたが今わたしの横でリラックスして横たわるまみを見ているとタロが居てまみが居るのだと思います。わたしが台所に立って洗い物をしているとき風のイタズラかわたしの脚にふ~と猫がすり寄る感覚を感じます。まみとは違う感覚今タロが来ているのだと感じる瞬間です。まみの居ない間に甘えに来ているのだと誰にも言わずにいますがしあわせを感じます。映画の中で亡くなった猫のサバが擬人化されてふたりで話をするシーンがありますが擬人化は無いでしょと思いながらもタロならなんて言うかなと思ってしまいます。テンプレート