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テーマ:中国&台湾(3302)
カテゴリ:旅行けば
昨日コーラに関する日記を書いてみたが、思ったよりレスポンスがあって書いた本人が驚いている。良い悪いは別として、コーラというのは結構巨大な存在だったりするのだなあ、と思ったことだった。
子供の頃はガラナ(ほぼ北海道限定のコーラのようでコーラじゃない炭酸飲料)が好きだったりしたんだけど、あれとてコーラがルーツだろうし、インドのカンパコーラなんかロゴがコカコーラにかなり似ていたのも微笑ましい。 80年代後半、改革開放が始まったもののまだ食糧切符が街中で売られ、トイレットペーパーの入手がしばしば困難になり、男性は中山服(通称人民服)を当たり前のように着ていて、百円ライターとかストッキングとか黒のボールペンが日本からのちょっとしたお土産になっていた時代の中国の省都クラスの地方都市にコーラはあったかというと、ちゃんとあったのである。 ただし、コカコーラ(可口可楽)ではない。ペプシコーラ(百事可楽)で、それもなぜか缶ではなく1.5Lのペットボトルだった。国営の食料品店で扱っていて、いくらだったか今はもう思い出せないが、大学の若い先生の給料が3000円ぐらいだった時代にかなり高額だと思ったのだから、日本円で120円ぐらいだったような気がする。 そのペプシ、日本では想像もつかないかもしれないがボトルが歪んでいるのが結構あった。底から途中までは真っ直ぐなのに、上部1/3がなぜか斜めにくっついていているのとか、最初からボトル全体が傾いているのとか。 そのうえ中に入っているコーラの量がばらばらで、口の辺りまでいっぱいいっぱいに入っているのもあれば誰か途中で飲んだんじゃないか、と疑わしいほど少ないのもある。 製造元は確か広東省にあって、ペプシと中国国営の飲料工場の合弁企業だったと思う。 このコーラを買う時には瓶の歪みが少なく(何かの拍子で破損しそうだから)、もちろんだがなるべくたっぷり入っているのを選んでいた。当時の中国の商店では自分で商品を手に取れないので、まず店員と顔馴染みになっておいて、それから「奥の列の左から4番目のコーラちょうだい」と頼めばスムーズに目的のものが手に入る。 もちろん1.5Lのコーラを1人で飲めるはずもないので、留学生同士でシェア。北朝鮮留学生と雑談する時とか、夜中の日本人留学生エンドレス雑談大会公式ドリンクにするとか。回り持ちで日本人留学生の誰かが何となく買う、という感じだった。 缶入りコカコーラは北京の友誼商店とか、当時は北京のかなり町外れ(現在では完全に街中になっている)にあったホリディインの外国人向け商店まで行かないと手に入らない超贅沢品で、トルファンに行く時に北京在住の留学生が燦然と輝く缶入りコカコーラを持っているのを見て、うひゃあさすが北京、と思っていた田舎者(笑 地方都市では、自炊でもしない限り中国料理以外の食事という選択肢はまず無かった。 中華もいいんだけど、慣れたけど、でも時には西側諸国の味をスパイスにしたい。 そういう時には、マクスウェルのインスタントコーヒー(ネスカフェは高かったのでマクスウェル。ミルクを入れたい時には、クリーミングパウダーも牛乳も手に入らなかったので、砂糖添加の黒龍江産粉ミルクを利用していた。当時はたぶんメラミンは添加されていなかったと思う)、いちごジャム(河北省産)、ペプシコーラがお約束。 という訳で結構コーヒーやジャムの空き瓶とコーラのペットボトルが溜まっていた留学生楼。 空きペットボトルは少しだけ砂利を入れて並べ、バスケットボールを転がして留学生対抗ボウリング大会をやっていたなあそう言えば。 ああ何て地味な留学生時代。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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