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昨日は娘の「お受験」の合格発表。朝10時の発表。
1次試験は60名の受験者の中、33名の合格者に入ることができた。 長崎大学教育学部附属小学校の2次試験は、 午後1時から2時間にも及ぶ厳正なる抽選が行われる。 これほど厳正な抽選は存在しないといわれる格式高い 「御抽選」だ。 家内が底冷えのする講堂で御抽選に臨む。 33名のなか選ばれし18名が当選する! その33名のなかには、いっしょに塾で勉強していたお友達もいる。 午前中の1次の合格発表後 「小雪も●●ちゃんも合格していたよ。」 と電話報告を受けた。 その時、頭をよぎった。 幼年時代の思い出だ。 僕は父に連れられ友達と2人で海水浴に向かった。 僕の父は、その時代の野球好きの父親が一般的にそうであった?ように 巨人の星の星一徹に風貌も性格もそっくりである。 先祖代々、桑原家?は百姓である。しかし、武士の一分を心得る 百姓だ。その血を濃く受け継ぐ厳格な父は、 「もし●●くん(いっしょにいった友達)が溺れて死ぬようなことが あったら、お前もいっしょに溺れて死ねことだ。もし、お前だけが 助かれば、周りの人々からあそこの父親は自分の息子だけを助けて ●●くんは見捨てたといわれる。いや言わずともそう思われることは 男として恥だ。だから、お前も死ね!おれも死ぬから」と言われたこと を鮮明に覚えている。 その日、僕と友人は海岸で手作りの筏をつくり沖に向かって漕ぎだした。 100メートルくらい沖に出たところで 潮に流されて操縦不可能になった。 筏はすごい勢いでどんどん沖に流されていく。 にわか手作りの筏だ。だんだん壊れ始めた。 「一瞬、もうだめだ!」と思った。 それを砂浜を見ていた父が ライフセーバー並みのもうダッシュと飛び込みクロールで筏に追いついた。 そして友人を背負い、 「ひろ(僕の名は広行です)は筏につかまってバタ足で戻ってこい」 と言い放ち砂浜に向かって泳いで戻っていった。 それからの記憶は残っていない。 娘はかわいい友人とともに抽選に外れた。 1人だけ当選していたらと思うと正直 「ほっ」とした。 いや、判断が遅かった。 1次で合格した時に、2次の抽選は辞退すべきだった。 きっと父ならそうしただろう。 まだまだ父には遠く及ばない自分がを小さく感じる。 桑畑で鍬を背に担いで、心だけは武士のご先祖様が 僕を見て微笑んでくれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
January 15, 2009 11:57:17 AM
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