舅の入院以来、随分長い間ブログを休んでいる。
その間付きっ切りで看病した訳ではない。
日常生活に大きな変化はなく、以前からの予定の旅行なども実行した。
でも大きな荷物を背負っている感は否めない。
1月に舅が肺炎で入院、その後奇跡的に肺炎は治癒したが
その間食事は一切摂らず点滴、栄養注入で過ごしてきた。
以前の施設では胃瘻は受け入れてくれるが鼻からの注入は不可能
本人の意識は、はっきりしているが、言葉が聞き取れない。
何かをしきりに訴えようとするが言葉にならず意思が読み取れない。
無駄な延命と言われる胃瘻だが、以前の施設に戻れるのが可能なら止む無しと
胃瘻を決断した。
そしていろいろな検査の結果、舅は以前に胃潰瘍の手術を受けていて、
胃が変形していて内視鏡の手術が不可能、開腹手術は高齢の為あまりにも危険
という事で胃瘻を断念せざるを得ない事となり、
新たに療養病棟のある病院を探す事となった。
これが現在の状態だが、この3か月、当初は生命の危険を案じ、
容態が落ち着くと施設に戻れる状態まで回復するのか、
そして胃瘻なら可能という事で苦渋の決断をした。
施設には期限を待ってもらえるのを確認し、手術の日を待っていた。
すべてが無駄とは言わないがこの3か月間の悩みは何だったのだろう。
重い肺炎でも回復する強靭な体力の持ち主、
本人の意思とは必ずしも沿っていないかもしれないが
見知らぬ病院の一室でいつまで続くかしれない闘病生活を強いるのは忍びないが
寿命が続く限り頑張ってほしいというより仕方のないというのが現在の心境である。