|
カテゴリ:旅行
ザルツブルグの街で一番目立つのは旧市街、メンヒスベルクの丘(Monchsberg)に建つホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg)です。
このホーエンザルツブルク城は完全なる要塞です。 しかし、前回まで紹介したヴァッハウ渓谷 (Wachau)の街とは全く異色の経歴で城塞は建築されました。 通常は、防衛の為に城壁が築かれ、要塞化して街に発展。城塞は街の人々を守る為に活躍するものなのですが、ザルツブルグは他と異なり司教が個人的に敵から逃れる為に建設した要塞がルーツなのです。 司教の敵とは誰でしょう? 司教が裏切った司教区のオーナーである神聖ローマ皇帝。また司教の贅沢と課せられた重税に耐えかねたザルツブルグの農民と鉱夫たちです。(農民達の怒りは16世紀にピークに達します。) つまりザルツブルグの大司教は本来尊敬されるべき立場にありながら、正反対の人物で、この要塞を築いた・・と言う事です。 ザルツブルグ(Salzburg) 2 (メンヒスベルクの丘) ホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg) 大司教の非難場所としての要塞 メンヒスベルクの丘(Monchsberg) メンヒスベルクの近代美術館(Museum der Moderne Monchsberg) ホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg)・・・・メンヒスベルクの近代美術館テラスから 撮影場所とホーエンザルツブルク城はメンヒスベルクと言う同じ丘陵地にあります。 ホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg) 大司教の非難場所としての要塞 前回紹介したように街の成り立ちは、ウォルムス出身のルーペルト(Rupert)(650年頃~718年)司教 がこのあたりの布教の為にバイエルン王のきもいりでサンクトペーター修道院(St. Peter's Abbey)を開設したことに始まります。(696年) その後798年にはカール大帝の進言で大司教区に昇格。(この頃は平和だったのかもしれません。) 10世紀になると教皇庁が勢力を強め管轄司教区の人事権で諸侯と対立が始まりました。 これが叙任権闘争で、11世~12世紀にはローマ皇帝の支配権下でも教皇庁と対立が激化。 当時のザルツブルグ大司教は教皇側に付き、この司教区を作ったバイエル王(神聖ローマ皇帝)を裏切りました。 大司教はバイエルン王の報復を恐れてメンヒスベルクの丘に逃げ場所を作ったのが発端だったとされています。 ホーエンザルツブルク城は1077年に最初の着工がされ、それから700年かけて増改築が行われています。 最初はちょっとした建物から始まり、13世紀から15世紀には堡塁(ほうるい)が築かれ、同時に豪華な司教の邸宅も中に建設。 砲弾はは1525年には攻めてきたザルツブルグの市民に向けられ、籠城を勝ち抜いた後も市民の再びの襲撃を恐れて城はより堅牢な要塞にされたのだそうです。 (そんなに達の悪い司教が中世にはいた・・と言う事が信じられませが・・) 旧市街とホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg) ホーエンザルツブルク城眼下の旧市街 A・・・ザンクト・ペーター教会墓地と岩窟カタコンベ B・・・ザンクト・ペーター教会とザンクト・ペーター修道院 C・・・コレーギエン教会(Kollegienkirche) D・・・大聖堂(Domkirche) 周りがレジデンツ E・・・ザルツブルグ祝祭劇場(Festspielhaus in Salzburg) F・・・ザルツブルグ大学 ザルツブルグ地図一部 写真下の青い四角がメンヒスベルクの近代美術館テラス 写真右のピンクがホーエンザルツブルク城 メンヒスベルク近代美術館(Museum der Moderne Monchsberg)テラスから 海抜507m ※ 残念ながらここに上った時は雨でした。 メンヒスベルク近代美術館にあるカフェ・レストラン・バー M32 メンヒスベルク山の急斜面に2004年にオープン(月曜休館) 今回美術館もレストランも入っていませんが、見晴らしのよいこのレストランは昼はビジネスマンなどで人気のようです。(テラス裏手には車が乗り入れられるルートがあるようです。) 展望テラスと美術館行きのリフト乗り場入り口 リフトの乗り口が非常に解りにくい。 リフトのあるグシュテンガッセ通りの建物はメンヒスベルクの岩壁に張り付いて建っていて、一見普通のビル。リフトはこの奧、岩山の下に位置しています。 写真下、リフトのチケット売り場。 美術館に行かなくてもテラスだけ上れます。但しリフト代は有料(ザルツブルグ・カードが使用できます。) 岩山の下の洞窟からリフトに乗れるのですが、ちょっと怖い感じです。 何しろこの山は実は崩れ安く、17世紀には突然崩れた岩により教会が2つ、民家13軒、230人の人が亡くなったそうです。現在は定期検査して気をつけているそうですが・・。 ホーエンザルツブルク城からのメンヒスベルクの丘(Monchsberg)・・西方面(近代美術館は丘陵右) 遠方の山はドイツ国境にある山 ホーエンザルツブルク城からの北西方面 手前が旧市街地区で対岸が新市街地区 対岸、新市街裏の丘陵はカプツィーナベルク(Kapuzinerberg) 天気の関係で晴天、曇り、雨が入り交じった写真になり色合いが異なってしまいました (カメラの違いもあるけど・・。) つづく リンク ザルツブルグ(Salzburg) 3 (ホーエンザルツブルク城) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年10月20日 23時46分20秒
コメント(0) | コメントを書く
[旅行] カテゴリの最新記事
|