アジアと欧州を結ぶ交易路 6 コインの登場と港湾都市エフェソス
ラストにBack number追加しました。今回写真はエフェソスを中心にしました。最古のコインを造ったリュディア王国がエフェソスを支配していた時代があった事とその後ペルシャを経てローマの都市となったエフェソス(Ephesos)ですが、その立地から長らく港湾都市として繁栄した古代都市の跡を残しているのです。さらに、特筆するのは、其の外観だけでなく、宗教的にも大きな転換を持った都市なのです。古来エフェソスではアテナイ神が祀られていたのですが、ローマ帝国がキリスト教を国教にし、431年にはこの地でエフェソス公会議も開催。エフェソスの荒廃はこれらにも関係している。ローマが多神教を禁じると遺跡は資材として外に運び出されて行ったのです。アジアと欧州を結ぶ交易路 6 コインの登場と港湾都市エフェソス西洋最古のコインギリシャの都市国家の銀貨リュディア王国とデルポイの神託古代都市エフェソス(Ephesus)エフェソスを揺るがした事件簿繁栄の象徴 Celsus(セルシス)図書館エフェソス(Ephesus)の地母神貨幣のない時代の交易は、もちろん物々交換から始まっている。当然それにはお互いが納得する商品同士でないと売買は成立しないから、商品は皆が欲しがる、穀物とか、家畜、武器、毛皮、など他にも回す事のできる流動性のある品が取引の中心に・・。中でも塩は人間にとって必要な要素である為に重要な品だったらしい。そうしたお金代わりになる品を物品貨幣と呼ぶそうだ。実際、ローマ時代には軍人の給料は塩で支払われていたそうで、サラリーマンの語源がラテン語のサラリウム(salarium)(塩を支給する)から来ているらしい。しかし、物品貨幣の取引の場合、商品の状態によっては日により変動があったであろうし、食品であれば鮮度により同じ量でも変動があったはずだ。つまり毎度お互いが納得する割合で商品の交渉をしなければならず、数とか、重さとか、毎回売買が成立するまでは大変であったろう。交易と言う観点から考えればもっと解り易く、持ち運びに便利で変動の無い品にこした事はない。物品貨幣は、やがて変質の無い金属類に移行して行く。金属が貨幣として最初に利用されたのはメソポタミアだそうだ。有名なバビロニアのハムラビ法典 (Code of Hammurabi)には賠償金の額についての金額が定められ、記されている。※ ハムラビ法典はバビロニア第6代王ハムラビ(Hammurabi)王(在位:BC1792年~BC1750年)が制定した法律。金属貨幣の誕生は物品の価値を見出しやすく解り易くした。何より価値の統一は商取引をスムーズにさせたであろう。当然、その流通により交易は急速に広域に拡大。文明は短期間に広まって行ったのである。西洋最古のコインBC1400年頃、アナトリア(現トルコ)でヒッタイトはすでに炭を使って鉄鉱石から鉄を鋳造する技術を開発。彼らは鉄で鋳造した武器によりエジプトにも優るオリエントの大国にのしあがっていく。それ以前の鉄器は主に鉄やニッケルを含んだ隕石から打ち出した単純な製法であったからだ。だから熔解、鋳造は革新的技法であった。ヒッタイトが滅亡するとその技術は世界に拡散。アフリカでは溶鉱炉による鉄の精練技術を獲得している。この鋳造の技術はあらゆる金属に利用できる。現在発見されている西洋の最古のコインは、BC670年頃に、やはりアナトリアに現れたリュディア(Lydia)(BC7世紀~BC547年)王国で造られたエレクトロン貨(Electrum)である。リュディアの首都サルディス(Sardeis)はボス山(Mt.Bos)の北の渓谷に広がるアクロポリス。山から流れるパクトロス川は山から市中まで砂金を運んで来たらしい。この砂金は金と銀が含有していたのでエレクトロン貨は天然合金。その色が琥珀(こはく)色していた事から付いたネーミングらしい。エレクトロン貨(Electrum)についてはウィーン美術史美術館にて撮影していましたが、写真がボケていたのでウィキメディアから借りてきました。そして同じくリュディア(Lydia)王国で造られ発見された金貨をメトロポリタン美術館のサイトから借りてきましたBC7世紀頃国王は重さの均一の硬貨を発行し、裏に刻印をしたがエレクトロン貨(Electrum)はその素材が金と銀のミックス(合金)であった為に価値を見極めるのが難しかったらしくすぐに製造されなくなったそうだ。※ まがい物が出たらしい。下はライオンと雄牛が格闘している図のリュディアの金貨。Lydian Gold stater BC560年~BC546年Medium:Gold 1.5×1.2cm年代からリュディア最後の王、クロイソス王の時代のようだ。下の金貨と銀貨はウィーン美術史美術館のコインコーナーで撮影。ガラスケースの上に、間隔が開きすぎていたのでコインの画像を寄せています。Eはエレクトロン貨(Electrum) Dはダレイコス金貨ペルシャのダレイオス1世(BC550年頃~BC486年)は金貨(ダレイコス金貨)と銀貨(シグロス銀貨)を製造。その金と銀の比率は1:13と3分の1と定めた。この比率は標準となり、以降2000年間各地で利用されたそうだ。そう言えば、以前、日本の幕末維新の時に日本の金流出事件を紹介した事がある。「大阪天満の造幣局 1 幕末維新の貨幣改革 と旧造幣局」小判の流出事件。日本は 1金対5銀。当時 外国は 1金対15銀だったので、両替で損して持って行かれた(金の国外流出)のである。リンク 大阪天満の造幣局 1 幕末維新の貨幣改革 と旧造幣局ギリシャの都市国家の銀貨BC600年頃、ギリシャで良質な銀貨が造られると、それは地中海沿岸の国際通過となっていく。BC500年頃からギリシャの各ポリスも自国の銀貨の発行を始める。やがてそれは地中海沿岸(イタリア、シチリア、小アジア)の都市国家にも伝播。アルカイック期のコインは極めて芸術的。そして古典期の貨幣は、ポリスの中でもアテネのような大国のコインが広い範囲で流布。少額コインとして青銅のコインも誕生。アレクサンドロスのペルシ征服後は帝国内の金や銀を集めて、それまでバラバラであった貨幣の大きさや重さなど規格を一定に定めたそうだ。金と銀の交換比率なども決められ統一化が計られた。こうして貨幣社会の基礎もまたアレクサンドロスによって造られていた。ヘレニズム期はオリエントの各地ばかりか、古代インドまでコインの鋳造が始まり、それは波及したそうだ。下、「貨幣でわかる世界史」から図を借りてきました。ヘレニズム期のコイン(ウィーン美術史美術館) こちらもコインの画像を寄せています。画象も拡大しているので画質も悪いですH はマケドニア時代。アレクサンドロス王のステーター金貨。図柄はギリシャ神のヘラクレス(裏はアテナイ神)No5もマケドニアのステーター金貨。絵柄はアテナイ神Aはアレクサンドロスの肖像? プトレマイオス時代、右隣もプトレマイオス時代。※ ディアドコイ戦争で後継者となったリュシマコスやプトレマイオスが発行している。リュシマコスが発行したアレクサンドロス王の肖像が入った4ドラクマ銀貨上の写真はウィキメディアから借りてきました。アレクサンドロスの肖像は彼の亡き後に刻印されるようになった。以降、肖像は権力の象徴となっていく。ローマ時代は肖像が増えるが、現役で最初にコインに肖像が付いたのがユリウス・カエサルだそうだ。※ ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)(BC100年~BC44年)共和制ローマの政治家。Eと記したの銀貨と同じ物がエフェソス(Ephesos)から出土している。エフェソス(Ephesus)はアナトリア(現在のトルコ西部)にあった古代都市で、ヘレニズム期から古代ローマ時代にかけて非常に盛況であった港湾都市である。※ 今、出土されている遺跡のほとんどはローマ時代の物。リュディア(Lydia)王国でクロイソス(Croesus)(BC595年~BC547年頃?)が王位に付くと真っ先にエフェソス(Ephesus)を攻めたと言う。エレクトロン貨で紹介したリュディア(Lydia)人の話しはヘロドトスの「歴史」書の中で詳しく語られている。※ リュディア(Lydia)(BC7世紀~BC547年)王国の首都はサルディス(Sardeis)。エフェソス(Ephesus)は非常に近い。リュディア国とデルポイの神託リュディア最後の王がクロイソス(Croesus)王(在位:BC560年~BC547年)である。当初リュディア人はハリス河以西を独裁的に支配していたらしく、ギリシャ系の人々に朝貢を求めるなど上から支配。しかし、デルポイ( Delphoi)の神託によりギリシャのポリスで最強のスパルタと友交関係を結んでいる。リュディア王はギリシャ人では無いがデルポイ( Delphoi)の神託を信頼していたのである。※ メルムナス家のギュゲス(リュディアの初代王)は異邦人として最初にデルポイ( Delphoi)の神託を受け王となった。神託が欲しければ、アテナイ神殿の再建をするよう言われるとリュディア王は再建した。下は同じ頃、やはりクロイソス王がエフェソスに再建したと思われるアルテミス神殿。それはかつてない巨大な立派な神殿であったそうだ。この神殿はBC356年に放火で消失。アレクサンドロスは其の夜に誕生。アレクサンドロスの為に女神アルテミスはマケドニア行っていたので火災当時神殿にいなかった。と言う伝説もある。その因縁からアレクサンドロスが遠征中に神殿に来て再建資金を出したいと言うのをエフェソスの人は断ったらしい。その代わりアレクサンドロスは彼らがペルシャに納めていた税を再建の為にまわしたとも言われているが・・。今は瓦礫の一部が点在するばかり。クロイソス王(在位:BC560年~BC547年)もあちこちに神託を試したようだが、神託では、デルポイ( Delphoi)を一番信頼したらしい。しかし彼は神託の解釈で失敗する。ペルシャのキュロス王を攻めて負けたのである。ギリシャ、デルポイ( Delphoi)のアポロン神殿パルナッソス山の麓にあるアポロン神殿でのアポロン神の神託は、BC8世紀頃から始まり、ギリシャの勢力が落ちるまで1000年近く権威を持っていたと言う。海を超えてクロイソス王が神託を伺ったように何か大きな節目に当時の王達は貢ぎ物を持って神託を受けに来たと言う下は巫女の付けて居た装飾と思われる。こうした金も神託を受けた王たちのお礼によるものだろう。クロイソスは特にたくさん金を奉納している。リュディア国の首都サルディスでは砂金が取れるから豊だったのだ。神託は詩的な言葉で出されたようで、その解釈はいろいろとれたのかもしれない。だからクロイソスは自分が勝利して王になれると信じてしまった。キュロスがリュディアの首都サルディス(Sardis)を攻め陥落。負けたリュディアはペルシャの属国となる。クロイソスは捕虜となり火刑にされたが、助命された。ヘロドトスの歴史にそのあたりも詳しく書かれている。(クロイソス王の人柄に少し感動した。)古代都市エフェソス(Ephesus)さて、リュディア国がエフェソスを得たのは最もである。今でこそ内陸になってしまったが、エフェソスは地中海にそのままつながる港湾都市であったからだ。その盛況ぶりは今に残る遺跡群から十分測り知れる。Theater(劇場) ヘレニズムからローマ時代アレクサンドロス以後、トラキアはリュシマコス(Lysimachos)(BC360年~BC281年)がしばらく統治。トラキア王(在位BC306年 - BC281年)。この円形劇場はリュシマコスの時代に造られたらしい。彼はマケドニア王(在位BC306年~BC281年)でもあった。つまりこの劇場は最初ギリシャスタイルで造られたのである。25000人収容。劇場の奥に真っ直ぐ伸びる道がアルカディアン通りで、かつての港につながる道は一面大理石が敷き詰められていた。アルカディアン通りから劇場を見た所エフェソスのローマ時代の模型(ウィーン王宮にあるエフェソス美術館で撮影)右に港。青い矢印がアルカディアン通りへの道。かつてクレオパトラも通った道である。ピンクがTheater(劇場)赤い矢印が図書館でその前の四角いのはアゴラ。ヘレニズム時代の市等の建つ広場である。反対から撮影していなかったのでこの写真であるが、図書館より山手の方が高級住宅区。一般の観光はあちらから入り劇場あたりを通って終わる。本来のエフェソスは非常に広域だったのである。最も今はほとんど瓦礫であるが・・。古代ギリシャでは劇は神事の1つで、劇場には祭壇もあったらしいがローマ時代になると祭壇ははずされた。エフェソスを揺るがした事件簿17年,355年,365年,368年とエフェソスは度々大きな地震に襲われている。しかし、地震以上にこの街を揺るがす事件があった。AD54年、12使徒の1人、聖パウロがこの円形劇場でアルテミス神を否定した時だ。「人の手で作り出された神はもはや神ではない」それに対してエフェソスの人々は「エフェソスのアルテミス万歳。偉大なるアルテミス万歳」と劇場に押し寄せ、聖パウロは命からがら逃げ出したと言う。だが、時の流れはローマ帝国がキリスト教を公認。紀元313年コンスタンティヌス帝が信教の自由を認めるミラノ勅令を発布。392年テオドシウス1世はキリスト教をローマ帝国の国教とした。これが後にキリスト教以外の神の排斥につながる。エフェソスではアルテミス神含む異教の神は破壊の対象に。431年には聖パウロ事件の因縁か? この地でキリスト教会の大会議であるエフェソス公会議も開催されている。※ ミラノ勅令については「サンタンブロージョ聖堂(Basilica di Sant'Ambrogio) 1 (異教的な装飾)」で書いています。リンク サンタンブロージョ聖堂(Basilica di Sant'Ambrogio) 1 (異教的な装飾)※ コンスタンティヌス帝とキリスト教については「クリスマス(Christmas)のルーツ」で書いています。リンク クリスマス(Christmas)のルーツ※ キリスト教とローマ帝国に関しては続編で書いています。リンク ローマ帝国とキリスト教の伝播 (キリスト教とは)劇場から微かに見える図書館の建物。エフェソス遺跡の最大の見物ポイントがCelsus(セルシス)図書館なのである。繁栄の象徴 Celsus(セルシス)図書館 ローマ時代情報を整理すると、105年就任したローマの執政官ティベリウス・ユリウス・カンディドゥス・マリウス・ケルスス(セルシス) IIが、エフェソスに首府を置くアジアの執政官であった彼の父の偉業の印に建てた霊廟兼図書館のようだ。完成は117年。皇帝ハドリアヌス時代の特徴を示す建築様式だそうだ。※ 帝政ローマの執政官は、毎年1月1日に就任して1年。ローマの長であり、元首となる。実際、セルシスの棺は大理石(中に鉛棺)でてきていて、図書館壁の下に埋められていたそうだ。オリジナルはウィーンに運ばれているらしい。因みに、こうした遺跡にある彫像などは全てレプリカであり、オリジナルはどこかの美術館に置かれている。(保護の為に)。下段4つの彫像はセルシウスの知識(ソフィア),学識(エピステイム),聡明さ(エンノイア),高潔さ(アレーテ)を象徴するものだと言う。蔵書は12000ロールの巻物である。最大の蔵書を誇ったエジプト、アレキサンドリアの図書館同じくトルコ、アナトリアのベルガモン図書館、そしてこのエフェソスのCelsus(セルシス)図書館は世界3大図書館と呼ばれ蔵書を誇った図書館である。理由は蔵書の多さだけではない。その蔵書を目当てに来る学識者がどれほどいるか? このエフェソスには哲学学校もあったらしい。いずれも街の繁栄に比例している。※ アレキサンドリアの図書館の創建者はプトレマイオス1世orプトレマイオス2世の可能生からBC3世紀頃。2010年、「パピルス紙と最古の図書館」で紹介しています。リンク パピルス紙と最古の図書館ウイーン王宮のエフェソス美術館から Celsus(セルシス)図書館のペディメント(pediment)一部マゼウスとミトリダテス帝の門 ローマ時代奥がアゴラ(Agorá)※ アゴラ(Agorá)はギリシャ時代からのスクエア型した公共の広場。集会をしたり、市も立つ。そのアゴラから出土したのが独特なスタイルのアルテミス神エフェソス(Ephesus)の地母神我々の知るアルテミス神とはかなり違う。豊穣の女神? ともちょっと違う。※ 豊穣は穀物に使う言葉。髪飾りにはヤギ、シカ? 牛。首には女神、ブドウ、12星座の首飾り。肩にはライオン。胸には謎の卵型の乳房?ドレスの飾りも上からライオン、ヤギ、ロバ?、ヒョウ、鹿?、ウシこれらを相対的に読むと人に関わる動物をシンボルとしている。動物たちの神様?確かにアルテミス神は狩猟の女神だけど、ここでは人の食につながる所で豊である事を願う女神に見える。そもそもアルテミスと考え無ければ良い。彼女は、BC7000年頃誕生してアナトリアに根付き、メソポタミア、アラビア、エジプト、スカンジナビアまで多大な影響を与えた存在だったと言う説もある。因みにメドゥーサも元は豊穣の神様として、東地中海からエーゲ海に至る地域で信仰されていた女神だった。ギリシャ世界の中で異教の神々は怪物にされたのであるが、キリスト教下ではギリシャの神々もまた魔物となった。メドゥーサ(Medousa)については「メドゥーサ(Medousa)の首」で書いています。リンク メドゥーサ(Medousa)の首こちらはもっとクラッシック。こちらはラズベリーの首飾りや魚の首飾をしている。よくよく考えると、女神像はアゴラで発見された。つまり市場の神様だったのではないか?ハドリアヌス神殿ローマ皇帝ハドリアヌス帝に捧げられた神殿ゲートは女神ティーチェ と本に書かれていたが、海の女神テティス(Thetis)の誤りではないか? 次のペディメントは魔除けとしてのメドゥーサとの説がある。まだエフェソスの遺跡写真はありますが、長くなりすぎたので遺跡の紹介はこの辺でやめます。港湾都市として長らく繁栄したエフェソス(Ephesus)。それを示すように時の権力者は首府にしたりしている。東ローマ帝国の下でも、エフェソスはアジア属州の首都として繁栄。政治や経済の中心であり続けたし、国教であるキリスト教の司教座聖堂が置かれる重要な地として存在。ただ、度重なる地震による被害は大きかったかもしれない。また先に触れたが、ローマがキリスト教を認めた事は異教の神々ににとってはありがたくない話し。異教の神殿は資材の調達場所となり荒廃。さらに西ローマのコンスタンティノープルの建築ではエフェソスから資材が採られて行った。7世紀頃より湾は山から流れる土砂の堆積により沈降が進む。追い打ちをかけるように8世紀よりイスラムの攻撃をたびたび受けついに東ローマ帝国はエフェソスを放棄。港が完全に埋まったのはその後らしいが・・。港湾都市時代にはサルディスで採掘された金が取引されたであろうし、金に伴う高級品も取引された事だろう。エフェソスはセレブなニオイのする街(遺跡)である。次回いよいよローマです。リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 7 都市国家ローマ の成立ち+カンパニア地方Back numberリンク アジアと欧州を結ぶ交易路 20 パナマ運河(Panama Canal)リンク マゼラン隊の世界周航とオーサグラフ世界地図リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 19 新大陸の文明とコンキスタドール(Conquistador)リンク コロンブスとアメリゴベスプッチの新世界(New world)リンク 新大陸の謎の文化 地上絵(geoglyphs)リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 18 香辛料トレード(trade)の歴史リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 17 大航海時代の帆船とジェノバの商人リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 16 イザベラ女王とコロンブスリンク アジアと欧州を結ぶ交易路 15 大航海時代の道を開いたポルトガルリンク 海洋共和国番外 ガレー船(galley)と海賊と海戦リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 14 海洋共和国 3 法王庁海軍率いる共和国軍vsイスラム海賊リンク 聖人と異端と殉教と殉教者記念堂サン・ピエトロ大聖堂リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 13 海洋共和国 2 ヴェネツィア(Venezia)リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 12 海洋共和国 1(Ragusa & Genoa)リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 11 ローマ帝国の終焉とイスラム海賊リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 10 ローマ帝国を衰退させたパンデミックリンク ローマ帝国とキリスト教の伝播 (キリスト教とは)リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 9 帝政ローマの交易リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 8 市民権とローマ帝国の制海権リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 7 都市国家ローマ の成立ち+カンパニア地方 アジアと欧州を結ぶ交易路 6 コインの登場と港湾都市エフェソスリンク アジアと欧州を結ぶ交易路 5 ソグド人の交易路(Silk Road)リンク クムラン洞窟と死海文書 & マサダ要塞(要塞)リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 4 シナイ半島と聖書のパレスチナリンク アジアと欧州を結ぶ交易路 3 海のシルクロードリンク アジアと欧州を結ぶ交易路 2 アレクサンドロス王とペルセポリスリンク アジアと欧州を結ぶ交易路 1 砂漠のベドウィンと海のベドウィン