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2021年03月15日
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星2009年に書いたモンサンミッシェル・シリーズを新たに編集して載せなおす事にしました。
1~5になりました。

ただ、モン・サン・ミッシェルは2014年に新たな橋がかけられかつてとはアクセスに関してはかなり以前と違ってきているようです。
モン・サン・ミッシェル自体に変化はありませんが、見える景観も微妙に異なっているようです。
比較するべく編集しました。
尚、新規に更新した時点で古いのは削除します。


モンサンミッシェル 1 自然に囲まれた要塞

陸橋からパセレル橋(Pont Passerelle)の開通まで
モン・サン・ミッシェル(Mont Saint Michel) 自然に囲まれた要塞

陸橋から
パセレル橋(Pont Passerelle)の開通まで
​ノルマンディー地方南部、ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られた場所です。​

​モン・サン・ミッシェルの修道院は、サン・マロ湾の南東部に位置する岩でできた孤島にあり、かつては満ち潮の時に海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた場所です。​

それ故、行き来は潮の引いた時のみ。しかし​干満の差は水位のみならず時間にもある。恐ろしく早く潮がたまり溺れる者が多数出る難所としても有名であった。​

1877年に本土との間に陸橋が架けられ、以降は潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。それは観光客の増大にもつながった。
しかし150年の間に陸橋の存在による砂の堆積で砂洲の陸地化が進んだようです。
環境保全の観点から? 陸の橋は壊され、新たに橋脚のついた橋の建設が始まり2014年7月パセレル橋(Pont Passerelle)がオープンしている。

2014年以前の陸橋の頃のモンサンミッシェル

2014年以降、
パセレル橋(Pont Passerelle)ごしのモンサンミッシェル
写真はウィキメディアから借りてきました
以前は海だった所が島の駐車場になっているようです。むしろ景観が不自然に変わっている気がしょんぼり

陸橋の頃の方がナチュラルで風情があった気がします。ぽっ

ところで、1979年「モン・サン・ミシェルとその湾」としてユネスコの世界文化遺産に登録。
1994年10月にはラムサール条約の登録地とされている。​

​​陸橋の撤去は従来の砂洲とモンサンミッシェルが島でなればならないと言う環境保全のためであるが、ひょっとしたら、それはラムサール条約の問題もあったのかも
それまでは砂洲が消え牧草地化するのは悪い事ではなかった? 開拓の歴史もある。
塩分の効いた牧草を食べた羊のお肉は美味しいと、それ自体が名産化していたはずなのだ。

だが、​自然の作用で干満の度に砂が残り、河川も運河化されて水流も代わり砂の除去機能が失われた事に加え、特殊な草の群生も影響したらしい。​

歴史的かつ、精神的意味合いのある島と言うモン・サン・ミッシェルの特異性が失われるのは何より困る。事態を危ぐした結果なのだろう。​

​​下の写真は引き潮の時のモン・サン・ミッシェルの空撮です。ただし2014年以前の写真のようです。
ウィキメディアから借りてきました。
引き潮の時は孤島ではなくなりモンサンミッシェルの周囲はかなり広範囲に陸地化します。
こんな状態なので船が使えないのです。
確かに写真では砂洲の緑地化が見えますがこれは夏の写真では?

下は2008年の引き潮の時の写真です。
バスの停車している所は海に沈む部分です。
干満は一日に一度はありますが、みなさん観光のタイミングでそれを見る事は泊まりでなければ難しいのです。


下の写真は2010年3月の満ち潮の時です。

モン・サン・ミッシェル(Mont Saint Michel) 自然に囲まれた要塞
モン・サン・ミッシェルの岩山は、3km北にあるトンブーヌ島と、23km西にある(ドル山)と共に、6億年前のヘルシニア造山運動で地層が曲がりくねるように変形する褶曲(しゅうきょく)山地の跡なのだそうです。

引き潮の時に干潟に入る人もいるようですが、ガイド付きが望ましいようです。中には深い所もあり、足を取られて抜け出せなくなる場所もあるからです。
何より満ち潮が始まるとあっという間に海になるからあまり沖に行くと死にます。


周囲の湾は45000haにおよび、世界でも最大級の潮差が観測されている場所
太陽と月の引力が合わさる春分、秋分の大潮では、潮差は15mに達するらしい。

​​この時、海は一度18km沖に引いた後に、今度は1分間に62m(毎秒1m)ものスピードを持って潮が満ち、砂州はまたたくまに海の中に沈む
星馬が駆け上がるくらい潮の勢いが早いので地元では、「馬の早駆け(Gallop)」と呼ぶらしい。

1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係なく島へと渡れるようになったが、それ以前は船で渡るか、干潮時にだけ現れる砂州を伝って島まで歩いていたので、よそから来た巡礼者はしばしば底なしの砂州に足を取られて動けなくなったり、満ちてくる潮にのまれて溺れ死ぬ者も多かった。
確かに干潟には潮流の流れで作られた河も見られる。

ラムサール条約は干潟を守る事なのか? 砂洲の牧草地化を防ぐものなのか?
ちょっと真意が解かりかねるが、敢えてフランスでは干潟の開拓による土地の拡大をしてきた経緯がある。
11世紀より、砂泥の浜の上に肥沃な農地を開拓しようと、堤防が建設され、オランダの技術も導入されて、開拓面積はどんどん増えているようです。
リンク ​キンデルダイクの風車群 3 (ポンプと風車)



修道院の城壁内ヘのゲート前
2014年以前であるが、潮が引き始めると清掃が始まる。

まず駐車場の土砂の除去。
そして水洗い?

今もやっているかは知りませんが・・。

以前は門の中まで波が押し寄せ水浸しでした。これは大潮の時かな? 2010年3月

つづく

Back number
    モンサンミッシェル 1 自然に囲まれた要塞
リンク ​モンサンミッシェル 2 トーンブの歴史と大天使ミカエル
リンク ​モンサンミッシェル 3 インド・ヨーロッパ語族のノルマン人
リンク ​モンサンミッシェル 4 ベネディクト会派の修道院とラ・メルヴェイユ
リンク ​モンサンミッシェル 5 山上の聖堂と修道院内部






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Last updated  2022年12月29日 19時46分56秒
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