チューリップとキューケンホフ 1
キュ-ケンホフ(Keukenhof) 国立公園春のオランダと言えばチュ-リップ畑。北海に面した海岸の砂地地帯は一帯一面はチュ-リップ畑となり、チュ-リップのカーペットです。このキューケンホフ周辺は球根業者の栽培地です。下は、キューケンホフ近郊のチューリップ農園です。球根栽培は、16世紀以来「古い」砂丘周辺で発展。このあたりは土壌が石灰質で、砂の多い地域であり、球根栽培に適しているからのようです。しかし畑では球根を育てるために咲いた花はすぐに摘み取ってしまいます。開花の直後に花を摘めば土中の球根は養分を保存できるので、球根は痩せないですむからです。(本来花の為に蓄えられた養分をキープするのが目的)花を刈った後、2ヶ月~3ヶ月でトラクタ-により花の伐採、球根の収穫が行われるそうです。園芸農家は、冬期は温室で花を栽培する等して、この国の園芸に携わる人口は7万人と言われています。世界の花市場の70パーセントを供給している為、「オランダはヨ-ロッパの花屋」とまで言われているそうです。チューリップバブルオランダでは,ネーデルランドの時代にチューリップ・バブルorチューリップ狂時代と言われたチューリップ・マニアの時代がありました。(ヨーロッパの3大バブルに数えられる事件です。)16~17世紀当時、オスマン・トルコから輸入されたチューリップは投機の対象になっていました。(商品先物市場ですね。)そのバブル期、球根1個が1000万円? になった時もあったといいますが、バブルがはじけて100分の1以下にまで下がり、オランダ諸都市は大混乱に陥ったといいます。(画家のル-ベンスも手を出していたらしい。)原因ははっきりしていないようですが、オランダが八十年戦争(1568~1648年)に勝利しネーデルラント連邦共和国として独立すると、(ポルトガルから香料貿易の利権も奪う)海上帝国として急速に発展します。中部ヨーロッパで起きていた三十年戦争(1618~1648年プロテスタントvsカトリックの宗教戦争)の影響もあり、アムステルダムに商取引が集中した事。オランダ東インド会社がバタヴィア(インドネシア、ジャカルタのオランダ植民地)の経営が利益をあげていた事なども背景にあるとされます。(現在の株式のもとは、このチューリップマニア(投機)に由来していると言われています。)チューリップの発祥はもともとは天山山脈と伝えられ、オスマン・トルコが勢力を広げるなかでチューリップをコンスタンチノープルに持ち帰ったと言われています。映画「黒いチューリップ」フランスの小説家アレクサンドル・デュマ・ペールによる小説を映画化したもので、17世紀のオランダで起きたチューリップ・バブルの中で起きた悲哀とロマンスの話です。アラン・ドロンが主演だったので覚えていました。チューリップだけでも語れますね・・。次はキューケンホフです。