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第二百五段
比叡山(ひえのやま)に、大師勧請(だいしかんじょう)の起請(きしょう)といふ事は、慈恵僧正書き始め給ひけるなり。起請文(きしょうもん)といふ事、法曹(ほうそう)にはその沙汰なし。いにしへの聖代(せいだい)、すべて起請文につきておこなはるる政(まつりごと)はなきを、近代、この事流布したるなり。 又、法令(ほうりょう)には、水火(すいか)に穢(けが)れをたてず。入物(いれもの)には穢れあるべし。 現代風訳 比叡山で、伝教大師(最澄・さいちょう・平安時代の僧。天台宗の開祖)の御霊をお招きして誓いを立てる起請文(きしょうもん・契約を交わす際に、それを破らないことを神仏に誓う文書)を書くことは、慈恵大師(じえだいし・平安時代の天台宗の僧。良源、元三大師)が最初に始めたならわしである。神仏に誓いを立てる起請文は、法律の家では取り扱わない。昔の聖天子の御代には、万事にわたって、起請文の形式で行われる政治はなかったのに、近代、この事が一般に広まったのである。 また法律において、水や火は穢れの対象にはなっていない。ただし故人宅からの書状などが入っていた容器には、穢れがあるだろうとしている。 それでは、「いにしへの政」はどんな風に行われていたのか?・・・ですよね。 吉田兼好氏が思う「いにしへ」はいつ頃のことなのでしょう。 ・・・とりあえず、彼の存命時、「起請文につきておこなはるる政」が行われていたようだということは判りました。 「起請文」って、アファメーションっぽいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.09.08 07:00:20
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