もう20年以上も前だが、僕はニュージーランドに行った。日本出発は秋だったので、ニュージーランドは、ルピナス(写真)、エニシダ、シャクナゲの咲き誇る楽園のような島となっていた。
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◎オークランド博物館で剥製を観る
そのような花とマウント・クックやミルフォード・サウンドなどの大自然が魅力だったが、もう1つの期待は、国鳥になっているキーウィ、そして絶滅した巨鳥モアの剥製を観ることだった。
キーウィは夜行性なので、僕たちはキーウィを飼育している動物園(だったかと思う)に夜に訪れ、辛うじて暗闇の中で見学した。おかげで「観た」という感覚も定かでない。
モアは、北島のオークランド博物館で、発掘された骨から復元した剥製を見ることができた。昨日付日記のエピオルニスは、いまだに剥製ですら観たことはないから、これは感激であった。
やはり大きかった(写真)。願うことなら檻の中のモアでもいいから、生きたモアを観たかった。
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◎現生ダチョウの2倍もあったジャイアントモア
ただモアは、ニュージーランドでは2科11種と多様に分化していた。すべてが飛べないかったが、僕が観たのはモアの中でも最大のジャイアントモアである。
ジャイアントモアは、走鳥類(ダチョウ目)モア科に属し、頭頂までの高さは最大で約3.6メートル、体重は250キロほどもあった。ただエピオルニスに比べれば、背は高いけれども体重は半分ほどだった。
現生で最も大きな鳥はダチョウで、体高2.3メートル、体重130キロだから、ジャイアントモアは、彼らよりもはるかに大きかった。
卵も大きく、4~5キロはあった。
エピオルニス同様、これだけ大きく、しかも産卵する卵も大きいとなれば、紀元1250年頃にソサエティ諸島からアウトリガーに乗って移住してきたマオリ族祖先に狙われないはずはない(写真)。
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現在まで、300カ所ものモアの狩猟遺跡が見つかっている。
エピオルニス同様、大きすぎたことの悲劇である。
◎人類登場後たった100年ちょっとでジャイアントモア絶滅
前述のようにニュージーランドに現マオリ族の祖先が渡海して来たのは、様々な考古学証拠から最近では紀元1250年頃と考えられている。
彼らがやって来て、飛べない鳥のモアはあっという間に数を減らす。それも、急速だった。
最大のジャイアントモアは、1400年前頃までには絶滅してしまう。先史マオリの来島で100年~150年の間に絶滅してしまったのだ。
肉の最も大量に取れるジャイアントモアが絶滅すると、乱獲の矛先はより小さな他のモアに及び、ついに紀元1550年頃にはどの種も1羽も残っていなかった(ただし小型種のモアは、17世紀半ば~18世紀半ばまで、南島の西岸内陸部で細々と生き残っていたという説もある)。
◎遠縁のキーウィが生き残った幸運
モアと遠縁のキーウィ(写真)が絶滅しなかったのは、彼らがあまりに小さかったからだろう。また夜行性であったことも幸いしたに違いない。キーウィは、母鳥のサイズに比べればあまりにも大きい卵を産んだ(07年8月7日付日記:「キーウィが巨大な卵を産む意味:アロメトリー、相対成長、モア、グールド」、及び07年8月6日付日記「モアを見に行き、キーウィに出合う:マオリ、走鳥類、ダチョウ、卵」を参照)。
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卵は狙われたはずだが、キーウィが生き延びたのは、食物で競合したはずのモアが先に絶滅してしまったために、残存者利得を得たからだと僕は考えている。
昨年の今日の日記:「ノーベル賞の栄冠、今年も中韓は無縁;物理学賞の順番とは」