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2023.06.13
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カテゴリ:登山
 道には、あちこちに「山頂まで××メートル」という標識が出ていて、それが励みになる。

​◎到達した山頂に木柱標識​
​ ついに登山路の先に、山頂標識らしいものが見えた(写真)。恵山登山行後半の火口原駐車場から約1時間。



 思えば前半の火口原駐車場までのコンクリート舗装道を歩いた時の方が時間がかかり、ずっと疲れた。火山ガスは不快だったし、強い風は時には身の危険も感じさせたが、後半の方がむしろ優しい山行だった。
​ たどり着いた木柱の山頂標識は、風に飛ばされないようにしっかりとアンカーで固定されていた。柱のそばには、小さな鐘らしい銅器が置かれている(写真)。



​◎津軽海峡の先に下北半島も望める​
 あおられて滑落しないように、風に注意して標柱の先に進み、下界を俯瞰した。
 眼下には、僕たちのバスが走ってきたと思われる恵山までの集落や漁港が見える。
​ その先の海を隔てた向こうには、うっすらと下北半島も見える(写真;下の写真の標識の向こうに横たわるのが下北半島)。​





 感激ひとしおである。山は、それまでの肉体の痛苦と汗の代償として、何物にも代えがたい素晴らしい報酬=絶景を与えてくれるのだ。

​◎「霊山」と崇められ、多くの海洋民の道標でもあった恵山​
 恵山がいつ開山されたのかは分かっていない。ある文献では、江戸時代前記の寛文6年(1666年)に円空上人が恵山に登り、仏像を残したという記録があるという(確認されてはいない)。



​ 円空上人が仏像を担いで恵山に登り、奉納したのは、ここが「霊山」とされていたからだ。上の地図で示すように、恵山は渡島半島の東半分の突端に聳える。江戸時代以前も、下北半島から渡海してきた船乗りや漁民、あるいはアイヌの人たちにも、灯台のような海の道標だったに違いない。だとすれば、円空上人よりも前に地元のアイヌが山頂に歩を記したことは十分にあり得る。

​◎恵山権現堂​
​ 新しい時代に再建されたのは確実だが、山頂標識から100メートルほど南に行ったところに「恵山権現堂」が建てられている(写真)。


 僕は、岩の陰に身を寄せて風を避け、持参した軽食と菓子で簡単な昼食をとった。
 ただ、それでも容赦なく巻いた風が吹き付ける。山頂に20分いただけで、汗で濡れたシャツが冷え、寒さに襲われた。
 長く滞在できないのは残念だが、僕はそれで下山にかかった。
(この項、続く)

昨年の今日の日記:休載​





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Last updated  2023.06.13 03:12:45



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