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カテゴリ:読書
ミステリー好きの知人が、ある科学ミステリー小説を貸してくれた。僕が、古人類学、考古学に関心を寄せているからだろう。『聖乳臼歯の迷宮』(本岡類)である(写真)。 一気に読んだ。旧石器遺跡捏造事件、カルト問題を巧みに絡ませ、イスラエルと日本のはるか南方の青ヶ島を重要舞台にセットし、古人類学と考古学の知見を巧みに織りなした壮大なミステリー小説だった。 ◎ナザレの「キリストの家」で発掘された1本の乳臼歯 その小説では、冒頭にイスラエル、ナザレのある発掘現場から日本人の少壮分子人類学者が、羊皮紙でくるまれた乳臼歯を発掘する。その発掘現場は、イエスの育った家の跡かもしれないとされていた遺跡だ。 その乳臼歯と羊皮紙を、後に持ち帰って放射性炭素年代測定法で年代測定すると、紀元前後のまさにイエスの時代のものだった。ところがミトコンドリアDNAを解析すると、それはホモ・サピエンス以外の異種人類のものだということが判明し、世界は一気に異様な興奮に包まれた。 幼いイエスが育った跡から出たものだからその乳臼歯はイエスのものであり、ミトコンドリアDNAは非ホモ・サピエンスのものだから、イエスが神の子であったことが証明された……。 ◎ナザレと遠く隔たった青ヶ島で 書き出しはかなりスリリングであり、科学雑誌編集者の主人公を中心に、彼の大学時代の友人で真実を追い求めようとする少壮文化人類学者、恩師の娘でやはり学生時代の友人他の女性外科医が、真実を探そうと活躍する。 前述のように旧石器捏造事件やカルトの問題などが、重要な背景としてこれに絡む。最後は八丈島の南方の「日本で一番人口の少ない村」青ヶ島(写真)の伝説の「鬼」にまで広がる。この島で、かつての友人が謎の転落死を遂げていた。 核心は、源為朝の鬼退治の「鬼」と保元物語で語られる、青ヶ島と思われる「鬼が島」の住人が、実は異種人類ではなかったのか、というものだ。 青ヶ島に出かけた主人公と友人の女性外科医は、苦心の末に謎を解いていく。 ◎説得力のある歴史的事実 2人の解明した「鬼」、「住人」は、太平洋を黒潮に乗って2000年前頃に青ヶ島に渡ってきた異種人類という小説の要は、確かに説得力がある。一方で進化人類学的に言えばやはりそれはあり得ない、という結論にもなる。 説得力のある点その1は、2000年前頃より若干遅れるが、東ポリネシアの島々をポリネシア人が船を駆って移住していたことだ。その行く先は、北はハワイ、東は南米、ペルー海岸、南はニュージーランドにまで至っている(10月26日付日記:「先史ポリネシア人外洋航海による最後の植民、紀元1250年頃にたどり着いたのは今のニュージーランド」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202310260000/、及び10月15日付日記:「広大な太平洋を縦横に舟で駆け抜けたポリネシア人は南米にも到達していた」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202310150000/を参照)。 ◎説得力その2は東南アジア島嶼部にいた異種人類 ただ今のところ、ポリネシアの移住の波が伊豆諸島に達したという証拠は無い(ただし小笠原諸島のさらに南の北硫黄島に1世紀頃の「石野遺跡」が見つかっていて、遺物の磨製石斧はマリアナ諸島との関連が指摘されるが、マリアナ諸島はポリネシアには属さない)。 その2は、東南アジア島嶼部には、確かにホモ・サピエンス以外の異種人類がいたという科学的事実だ。ただしその年代は、フローレス島のホモ・フロレシエンシスが新しくても6万年前、2019年に公表されたフィリピン、ルソン島のホモ・ルゾネンシスが6.7万~5万年前である。2000年前という最近まで、非ホモ・サピエンスが生き残っていた証拠は、これまた無い。 だから小説の骨格となっている、他にも無数の知られていない異種人類がいたという設定は、決して荒唐無稽ではない。 ◎島に渡った異種人類 ちなみにホモ・フロレシエンシスのいたフローレス島もホモ・ルゾネンシスの住んでいたルソン島も、これまでアジア大陸部と陸でつながったことはない。だから両人類とも、何らかの航海手段をもってフローレス島とルソン島に渡ったとしか考えられない。彼らが太平洋に乗り出していた可能性はゼロではない。それが、その3だ。 ただし、非サピエンスの古い異種人類が青ヶ島まで渡るには、海路が遠すぎる。フローレス島もルソン島も大陸につながった近くの陸から渡海してくるには、さほど距離も日数もかからなかった。だから彼らの祖先は、意図した航海よりもアクシデントで漂流して流されてきたという説が強い。 ◎島で孤立して進化した人類は小型化が不可避 そうして考えると、「あり得ない」という論点が、いくつも出てくる。 その1は、青ヶ島の鬼は、伝説ではかなりの巨体だったことだ。つまり渡海者も、今のトンガ出身のラガーマンのように大きかったから、それを見た古代人が「鬼」伝説を残したという筋書きになっている。 だが、前述のホモ・フロレシエンシスもホモ・ルゾネンシスも、小型人類であった(下の写真の上=現生人類とホモ・フロレシエンシスの頭蓋比較;下の写真の下=ホモ・ルゾネンシスの足指の骨)。 これは、動物生態学で説明できる。食料が不足しがちだが、捕食者のいない島嶼で世代を重ねた大型動物は、次第に小型化するのだ。フローレス島では旧ゾウのステゴドンですら小型化した。しかも、遺伝的に隔離された島では、いったん小型化した形質は、遺伝子流入がないだけ、固定化する。 つまり動物生態学では、「鬼」のような大型の異種人類は説明できない。 ◎ホモ・サピエンスの来た時点で先住の異種人類は絶滅を免れない その2は、ホモ・サピエンスが進出した地では、どこでも先住の異種人類は絶滅していることだ。最も典型的なのは、4万年前のヨーロッパのネアンデルタール人の絶滅である。この直前、アフリカ起源のホモ・サピエンスはヨーロッパに出現している。 ホモ・フロレシエンシスもホモ・ルゾネンシスも、絶滅時期は、ホモ・サピエンスのその地への渡来より数万年は早かった。前記の絶滅時期は化石で確認された年代だから、その後もわずかに生き残っていたかもしれないが、ホモ・サピエンスがフローレス島とルソン島に現れたと思われる遅くとも3万年前以降も生き延びられた可能性は考えられない。 ◎出来映えは一級品 すると青ヶ島の異種人類の「鬼」は、本土では弥生時代まで生き残っていたことになり、このような絶海の孤島で遺伝的に隔離された集団が、他の地から遺伝的補給もなく、数万年も生き延びられた可能性はゼロに近い。 ミステリー小説に、こんなことをクダクダ言っても仕方がないが、ともあれ蛇足を加えておいた。 本小説の最終盤での旧石器遺跡捏造事件を彷彿させるどんでん返しは、本格ミステリーとして上出来と言える。科学ミステリーとしては一級品の出来映えではなかろうか。 なお、小説中で記載されているホモ・サピエンスに、「・」がないことが、惜しまれる。生物の和名表記の場合は、属名と種小名の間に「・」を入れるのが原則だからだ。 昨年の今日の日記:「ロシア侵略軍の戦死者数、確実な数で1万人超、実際は2万~10万人も;ロシア反体制派に実刑」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202212140000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.14 04:27:47
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