テーマ:今日はこんな日(942)
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日は年号が平成から令和に変わってまだ間も無い5月4日いでもし亡くなった父が存命なら93歳になっていた筈の日である。大正15年生まれの父は健在であれば64年に亘った昭和・31年に亘った平成をも越えて、大正‣昭和・平成・令和の4時代を跨ぐ人生を送っていた筈なのである。
幼少期の昭和初期にはに昭和13年に発生した神戸大水害に遭い更に当時は第2次世界大戦(太平洋戦争)の最中で神戸大空襲に遭い兵役で海軍の呉の基地に配属されていた時にはB-29が広島市内へ原子爆弾を投下するのを直に目撃したそうである。 終戦後に港湾関係の仕事に就いた後に大型トラックの運転免許を取って本人曰く北は青森県から南は鹿児島県へと、北海道と沖縄県と佐渡島以外は大方行ったと言っていた父がサービスエリアから持ち帰って来る道路地図が常に部屋にあった。 物心付いた頃から当たり前の様に地図を見るのが日常だった自分は自然と高速道路の路線や鉄道の路線が頭に入っていて、無意識のうちに電車に関心を持つ様になって父が大型トラックで北海道・沖縄以外の全国を走破したのにも影響を受けたのか、学生時代から10年掛けて旧国鉄(途中からJR)の全路線に乗車を果たした。 地図のある生活環境に居たお陰で初めての場所へも大概は迷わずに行き着ける方で多くの人が苦手に思う大阪梅田の地下街でも迷わずに歩けるのも父がサービスエリアから持ち帰った道路地図により身に付いた地理感覚のお陰と思っている。 定年迄大型トラックの運転手として勤め上げて悠々自適の暮らしを送ると思っていた父だが平成7年に発生した阪神・淡路大震災に遭って約半年近所の小学校で避難所生活を経た10年後に母が亡くなって以降は持病を患ってしまった自分の面倒を父に負担させてしまう事になってしまった。 父は終戦後にGHQの施設で一時期コックみたいな仕事もやっていて炊事や家事もこなせる器用さがあって、持病もあった上に家事全般が苦手な自分は父やヘルパーさんに頼り切りであって独り暮らしになった今反省しきりである。 90歳になっても大正生まれの根性の座った父は弱音を見せずに入院する寸前迄頑張ってくれたので、自分はその恩に報いる為にも父の分迄生き抜いて行きたいと思う。 「もうお父ちゃんが逝ってから3年半経つんやなぁ、元号も平成から令和に変わって大正は益々遠なってしまうなぁ。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月14日 10時02分30秒
コメント(0) | コメントを書く |
|